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第5話

   不純物の多い好意を餌にした人でなし、と詰られれば弁解の余地がない。  折に触れて向けられる眼差しの熱っぽさに危ういものを感じた時点で、一家庭教師と一教え子という関係に適切な距離を保つよう軌道修正を図るべきだったのだ。だが、結果論だ。  ある情景が瞼の裏に浮かぶ。  この数式を展開している途中でつまずいた、と言われて暁生の肩越しにノートを覗き込むと同時に、彼が上体をひねり気味に顔をあげて……、  唇が頬に触れた。本当は唇を盗むつもりでいたのが目測を誤ったのだ、と察して飛びのいた。  まっすぐ見つめてくる瞳が傷ついた色を宿し、そのさまに気持ちがぐらついた。すぼまった肩を抱き寄せたい衝動に駆られ、それでも何事もなかったように授業をつづけた。  幾星霜を重ねても、あのひと幕は記憶に鮮やかだ。篠田はローストビーフを小皿に取り分けたものの、自身は箸を置いた。  暁生の(たが)が外れた原因は、その前日、志保との婚約が整ったことだろう。  何度考えても同じ答えが導き出される。そのたびに苦いものが口の中いっぱいに広がる。  もうひとつ忘れがたい情景がある。  キス未遂の一件がしこりを残した数日後の夜、野暮用をすませて当時、住んでいた安アパートに帰ってくると、暁生がドアの前でぽつねんと待っていた。  開放廊下全体が(みぞれ)で黒ずみ、凍てつくように寒い。篠田は、押し込むように暁生を部屋に入れるのももどかしく、ストーブを点けた。  直後、前かがみになった背中が、氷のマントがかぶさってきたような冷やっこさに包まれた。  おぶさるふうに抱きつかれたと意識したせつな、かえって身動きが取れなくなった。  湿り気を帯びたコートも、胸元で交叉した手も冷え切っていて、それでいて耳たぶをくすぐる吐息は熱い。

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