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第12話
咄嗟に暁生を抱き寄せる。その腕がするりと向こう側に突き抜けたせつな、雪の何倍も儚いものが唇に重なった。
雪女にくちづけられたら、こうに違いない。瞬時に凍てついたような唇の線を幾度となく指でなぞっているうちに、夢心地へといざなわれていった。
ついばまれた感触は、うたかたさながらでありながら味わい深い余韻を残す。
それとともに、二十年来の宿願を果たしたと言いたげな微笑みが目に焼きつく。
──先にいって待っている……。
声が鼓膜を震わせたというより、直接頭に響いてきた。まごついている間に、暁生は金木犀の梢よりも高く宙に浮いた。
その全身の輪郭が雪に溶け入るように、だんだんぼやけていく。
「行くって、どこにだ」
荒い息づかいに語尾がしゃがれる。透明な糸で天へとたぐり寄せられるように人間が虚空に浮かぶなどありえない光景だが、空想の産物だとはちっとも思わない。
ただ、何がなんでも追いつかなければ永遠 の別れになってしまうと気が急く。
待ってくれ、俺もつれていってくれ。金木犀の幹をよじ登り、枝が折れて尻餅をつく。
透明度を増した人影が、遥か高空をめざしてぐんぐん遠のいていく。篠田は、こけつ転びつ駆けだした。
暁生、おまえをつれ去るものから取り戻したい。負け組が蠢く沼から抜け出したいという欲望に負けて、真摯な想いを踏みにじったことをずっと後悔していた。
恋という名の埋み火をかき立てておきながら、俺を置き去りにするのか。
古代の蓮 の種が芽吹いて花を咲かせた例に倣って、今からでも遅くない、愛を育んでいこう。
雪煙に須臾 、視界が閉ざされる。吹きだまりに足をとられて、うつ伏せに倒れた拍子に、すさまじい勢いで心臓が圧迫された。
肋骨の内側で猛獣が哮り狂っているような、あるいはハンマーで肋骨を叩き割れるような。名状しがたい激痛に襲われて、のたうち回る。
頭の中でエマージェンシーコールが鳴り響き、やっとのことで四つん這いになった。
一一九番、と呻く。仮にも大企業の重役が庭先で凍え死にした日にはマスコミの餌食で、あることないこと書き立てられる。
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