壮麗な高い門の中は木々や花が美しく生い茂り、屋敷は見えない。 ホレイショがインターフォンで「マイアミデイド署CSIのホレイショ・ケイン警部補とトリップ巡査部長です。ご主人にお会いしたい」と告げると、門が自動で開いた。 ハマーの助手席でトリップが意外そうな顔になる。 トリップはまさか屋敷に招き入れてもらえるとは思っていなかったからだ。 ただそちらに伺うとホレイショが連絡を入れただけで、アポイントメントを取った訳では無いし、相手はあの『ロウィーナ・スペンサー』だ。 投資家としてマイアミでは高名で、世界中を飛び回ってはその財産を増やし続けているらしい。 政財界にも顔が利くという噂だ。 なぜトリップが人物像を断定出来ないかと言うと、『ロウィーナ・スペンサー』は決して表舞台には現れないからだ。 何処からやって来てどうやって事業に成功したのか、誰も知らない。 その卓越した投資能力に超能力者ではないかとの噂まである。 だが警察官のトリップが知っているのはこの程度だ。 『ロウィーナ・スペンサー』はマイアミでも一握りの名家としか付き合いが無いのだ。 ハマーが1分以上走り、やっと屋敷に着く。 ホレイショが車止めにハマーを駐車すると、燕尾服に身を包んだ初老の男が玄関の扉から出て来た。 ホレイショがファイルを掴み、軽やかにハマーから下りる。 トリップもハマーから下りてホレイショに続いた。 初老の男が微笑み、「マイアミデイド署CSIのケイン警部補とトリップ巡査部長ですね？私はこの館の執事でございます。この度は主人に何かご用でしょうか？」と慇懃に言う。 ホレイショが「ロウィーナ・スペンサーさんにお話があります」と言ってサングラスを外す。 すると執事は困った顔になった。 「実は主人は今朝、自家用ジェット機でイギリスに向かいました。 不在でございます」 「ではあなたでいい。 話を聞かせて下さい」 「ええ、勿論」 「ここで？」 「館には主人の不在時には、どなたもお入りになって頂けないのです。 残念ながら」 ホレイショは淡々と「そうですか」と答えると、ファイルから一枚の写真を取り出す。 「この男はこちらの関係者ですか？」 執事が「はい。主人の秘書でございます」と即答する。 「昨夜、この男が犯罪に関わっていると思われる者達から車を受け取って、運転したのが確認されています。 理由はご存知ですか？」 執事が微笑んで頷く。 「その車は黒のシボレーインパラでございますね？ 主人が買い取りました」 「見せて頂くことは？」 執事が残念そうに首を横に振る。 「あのインパラは故障しておりまして、修理の為に解体し、寄付してしまいました」 「解体！？」 トリップが思わず声を上げる。 ホレイショは執事から視線を外さずに、また淡々と訊く。 「寄付というのは？」 「使用人の私の口から言うのはおこがましいのですが、主人は大変慈悲深いお方でございます。 少しでも世間のお役に立てればと、様々な福祉施設に寄付をしております。 現実的に言えばお金が一番役に立ちますのでお金を寄付致しますが、それだけでは味気無いと、何かしら付属のプレゼントもするのです。 古い車などは老人福祉施設などで入所者の方に喜ばれますので、古い車の収集もしております。 そういう関係で、昨夜秘書が古い黒のシボレーインパラを買い取りました。 ですがここまで走る間に秘書が故障に気付き、解体して、寄付する予定だった施設近くの修理工に運ばせました」 ホレイショがフッと笑う。 「昨夜買って、昨夜解体し、昨夜運搬する。 随分慌てていたんですね」 執事が微笑む。 「ええ。 主人は時間を無駄にすることを一番嫌います」 「誰からインパラを買って、どちらに運ばれたんですか？」 「それは秘書の仕事でございます。 私は存じません。 イギリスから戻りましたら、お知らせ致します」 「お願いします。 帰るぞ、トリップ」 ホレイショがサングラスを掛け、スタスタとハマーに向かう。 「おい、ホレイショ！」 トリップがホレイショの後を追う。 ホレイショがハマーに乗ってエンジンをかけると、トリップが不満そうに「もっと粘っても良かったんじゃないか？領収書を見せろとか」と言う。 ホレイショがバックミラーに映る、お辞儀をしている執事を見ながら「俺もロウィーナ・スペンサーと同類だからな」と答える。 「どういう意味だ？」 「時間を無駄にすることが嫌いってことだ。 あの執事はこれからも、のらりくらりと俺達をかわし、俺達の捜査に当てる貴重な時間を浪費させるだけだ。 ロウィーナ・スペンサー程になれば、寄付することすら自己防御に使える。 俺達がインパラの件をつつく度に、書類をたらい回しにして振り回すだろう」 「それが分かってるなら、ここに来た目的は？」 ホレイショが愉快そうにハンドルを切る。 「ロウィーナ・スペンサーが俺達の追う黒のシボレーインパラを買い取ったと認めるか試したかった。 流石にロウィーナ・スペンサーは馬鹿じゃない。 認めた上で俺達を諦めさせる。 賢いやり方だ」 「それだけか？」 トリップはまだ不満そうだ。 ホレイショが冷たく微笑む。 「まさか。 だがこれで一つ捜査の無駄が省けた。 ヤツらはロウィーナ・スペンサーに車を売るコネか伝手を持っている。 つまりヤツらをこれ以上安宿のモーテルで探す必要は無い。 なぜなら根っからの犯罪者なら、モーテルの事務所の裏で、警察から追われている車の売買などしない。 警察が黒のシボレーインパラを手配しているのを知り、しかも67年型とまで絞り込まれて、ヤツらはロウィーナ・スペンサーに泣きついた。 ロウィーナ・スペンサーは警察を巻く自信があったから、その話に乗ってやった。 だが、その後は？ 根っからの犯罪者なら、身を隠す。 ロウィーナ・スペンサーに車を売った事を逆手に取って安宿を転々とし、ほとぼりが冷めるまで辛抱強く待つ。 そしてディーンを奪うチャンスを狙う。 しかしヤツらは根っからの犯罪者じゃない。 中途半端なチンピラにも劣る。 今頃は足枷になっていたインパラも処分出来て、幾らで買い取って貰ったか知らないがロウィーナ・スペンサーに『援助』されて、高級ホテルでシャンパンでも飲みながら、ディーン奪回計画を立てているだろう」 トリップがハハッと笑って「じゃあモーテルの聞き込みは終わりにして、星付きホテルに絞って聞き込みにかかるか！モローが撮った写真もあることだし！」と言えば、ホレイショも「好きなだけばら撒け」と言って口元だけで笑った。 それからホレイショはマイアミデイド署にトリップを送り、モーテル・シップスに寄り捜査状況を確認すると、ディーンの薬の注入の為に自宅に戻った。 ホレイショが玄関ホールに入るとジニーが笑顔で、「お帰り、ホレイショ！」とやって来る。 「ただいま、ジニー」と笑顔で返すと、ホレイショは寝室に向かって歩き出す。 するとジニーがホレイショの先回りをして、ホレイショの前に立ってホレイショを止める。 「ジニー？」 「ホレイショの寝室にディーンはいないよ！ 二階の客間で寝たいって言われて、部屋を用意してあげたんだ！」 「どうして？ 何か理由を言っていたか？」 ジニーがうーんと考え込むとポツリと言った。 「ディーン、真っ赤になってた」 「真っ赤？」 「うん！ 理由は言わなかった！ それで寝室の用意が出来たら、考えたいことがあるからって部屋から出て来なくなっちゃった。 ホレイショ、ディーンと喧嘩したの？」 ホレイショがジニーに微笑みかける。 「する訳無いだろう。 それじゃあ俺は気まぐれ王子様のご機嫌伺いをしてくるよ」 そしてホレイショは二階に上がって行った。 ホレイショが扉をノックすると、小さな声で「開いてる」と返事があった。 ディーンはホレイショを見ると気まずそうに視線を逸らす。 ホレイショはそんなディーンを全く気にする事無く、一直線にディーンの横になっているベッドに近くと、さっと掛け布団を捲る。 ディーンはパッと頬を赤く染めると、ホレイショを見上げ「いきなり何すんだよ！？」と息巻く。 色白のディーンとディーンが着ている白いパジャマが相まって、ディーンの頬はまるで良く磨かれた林檎のように赤く、美しい。 ホレイショが事務的に「薬の注入だ」と告げると、ディーンが今度は途端にガッカリした顔になり頬の赤さがスーッと引く。 そしてお互い無言のまま前後の薬の注入を終えると、ホレイショが枕をクッション代わりに整えてディーンを凭れかけさせる。 ディーンはまた気まずそうになり、ホレイショにされるがままだ。 するとホレイショがベッドの空いているスペースに座った。 ディーンが気まずそうなまま下を向く。 ホレイショの手の平がディーンの頬に触れる。 「ディーン。 何を怒ってる？ 俺が何かしたか？」 ディーンは何も答えない。 「ディーン」 ホレイショが強引にディーンの両頬を両手で掴み、おでこをコツンと合わせる。 「ディーン。 どうした？」 ホレイショの囁き。 唇が意図せず掠め合う。 「……ホレイショ」 「ん？」 「…ち…近い…」 ホレイショが微笑む。 そして顔を離す。 ディーンの顔は両手で包んだままで。 「済まない。 デリカシーが無かったか？ でもなぜ寝室を変えたか言うまでこのままだぞ」 「…わ、分かったよ…！」 返事こそ勇ましかったが、ディーンがボソボソと話し出す。 「…俺…ホレイショに嫌われたくない…」 ホレイショが首を傾げる。 「嫌う？ 何のことだ？」 「…だっ、だから…その…。 俺、ホレイショと初めて会った日から…その…色々してるだろ…？」 「色々？ 薬の事か？」 ディーンが伏せていた長い睫毛を開け、キッとホレイショを睨む。 「ホレイショの鈍感！ そんなんでよく警部補に成れたな！ …エ、エロいことだよっ…！ 朝とか夜とか…俺、病人なのに…我慢出来なくて…その…ホレイショに強請ってばっかで…だからホレイショに嫌われたらどうしようって…！」 「悩んでた？」 ディーンがまた瞼を伏せると、小さく「うん」と答える。 ホレイショがディーンのおでこにキスを落とす。 「ディーン、俺を見ろ」 「…やだ…」 「こんな形で言いたく無かった」 ホレイショの言葉に、ディーンが目を見開く。 ホレイショが微笑んでいるのが、ディーンのヘイゼルグリーンの瞳に映る。 ディーンが震える声で「…な、何を？」と呟く。 ホレイショは微笑んだまま、静かに話し出す。 「病人の君につけ込むようなことをしたく無かった。 だが俺の王子様は俺よりもかなりの鈍感らしい。 早く告げないと、誤解して何処かに飛んで行ってしまうかもしれない。 だから、今、言う。 ディーン。 俺は恋に落ちた、君に。 君を愛してる。 きっと一目惚れだ」 ディーンの瞳から、ぶわっと涙が溢れる。 「だから君に求められたり、強請られたりするのはご褒美のようなものだ。 嫌う理由が無い」 キッパリと言い切るホレイショに、ディーンの顔を包むホレイショの手が涙で濡れてゆく。 ホレイショは熱い、と思った。 ディーンの涙が。 ホレイショはディーンの顔から両手を離し、ディーンをそっと抱きしめる。 本当は壊れる程抱きしめたかった。 昨夜のように。 だが薬の注入を終えた今は、それは出来ない。 だから、今は。 ホレイショはディーンが泣き止むまで、ただそっと抱きしめていた。 自分の愛で壊れてしまわないように。