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第22話
トリップの机に二つのテイクアウト用のコーヒーが静かに置かれる。
トリップと並んでデスクのパソコンに向いていたカリーが、ホレイショを見上げてにっこり笑う。
「あら、チーフ。
差し入れありがとう」
「どういたしまして。
カリーとトリップは五つ星ホテルの担当だったな。
成果はどうだった?」
カリーがお手上げボースを取る。
「全く収穫ナシ!
四人がバラバラに泊まるパターンも加味して、昨夜からチェックインした宿泊客を調べたけど、不審な客はいないわ」
トリップも腕を組んでうんうんと頷く。
「そうなんだ。
モーテルの支配人が撮った写真と、カウンターの高性能防犯カメラの写真をそれこそばら蒔いたが、大男、髭面、赤毛、トレンチコート、全てボツだ。
髭が生えてる人間はいたが写真とは似ても似つかないと言われるし、赤毛は染めてメイクを変えてついでに服装も変えれば別人だからな。
トレンチコートも脱いで髪を整えたり逆に付け髭をされれば別人。
まあ大男が見つからないのが意外だったが」
ホレイショが微笑む。
「身長だけは変えられないからな」
「大男だけ安宿のモーテルに泊まったのかしら?」
ホレイショが軽く首を横に振る。
「アイツらはどんな時も集団行動を取る。
よほどの臆病者の集まりなのか、普段からあの集団で行動を共にしていて、それで失敗をした事が無いのかのどちらかだろう。
家族連れはいたか?」
トリップがコーヒーをごくごく飲むと答える。
「家族連れだらけさ!
もしくはカップル。
大男『サム・ゴードン』はホテルのチェックインカウンターに現れていない」
「それだ、トリップ」
カリーが眉を顰め「どういうこと?」と訊く。
ホレイショはフッと冷たく笑うと語り出す。
「『サム・ゴードン』がいたら、どんな変装をしていようと隠しようもない『身長』でチェックインカウンターでの印象に残る。
そして警察の聴き込みに引っかかる。
カップルというのは二人でチェックインするのが普通だ。
だが、家族連れなら?
家族の代表がチェックインするのはままあることだ。
『サム・ゴードン』はチェックインカウンターに近付かずに、ロビーの目立たない場所で座っていたかもしれない。
カップルにも要注意だ。
女性だけでチェックインした人物がいれば、連れは座っていた可能性がある」
カリーが「分かった」と言うと、すっと立ち上がる。
「チーフの推理を元にホテルを洗い直すわ。
デルコとウルフとナタリアにも伝える。
さあトリップ行きましょう」
トリップも立ち上がると「ああ」と返事をして、「五分したら駐車場で合流だ」と付け加える。
「了解!」とカリーが言って、早足に立ち去って行く。
トリップが声を落として「お前はどうする?」とホレイショに訊く。
ホレイショはサングラスを掛けると、「検事局に行ってくる」と答える。
「ディーンのことだな?」
心配そうに訊くトリップに、ホレイショも声を落とす。
「ああ。
明日の朝一番に身体の再検査がある。
その結果次第ではディーンは自由の身になるが、記憶喪失を患っている上、重要な目撃証人だ。
今度こそ証人保護プログラムが適応されるかもしれないからな」
「検事も分かってくれるさ。
何処に居るのがディーンに最適だと。
頑張れよ!」
トリップはホレイショの肩を叩くと、歩き出した。
ホレイショが自宅に帰ると、ディーンが笑顔で出迎えてくれた。
ディーンは普通に振舞っているが、ホレイショからすれば照れ隠しをしていることなどバレバレだ。
夕食は豪華だった。
ディーンがジニーの助手をしたんだとはにかんで言う。
料理は絶品だったが、ホレイショにはこの豪華なディナーの意味することが分かっていた。
それでも健気に普通に振る舞うディーンがホレイショの胸を締め付ける。
食事を終えるとディーンがいつもの様に片付けをする。
そうして片付けを終わらせると、ディーンが「シャワーを浴びてくる」と言った。
ホレイショが「またキャンドルを焚いて一緒にバブルバスに入らないか?」と悪戯っぽく言うと、ディーンは儚く微笑んで「サンキュ。でももう幸せな思い出は作りたくないからさ」と言ってリビングを出て行こうとする。
ホレイショが素早く立ち上がりディーンの腕を掴む。
「ディーン。
幸せな思い出を作りたく無いって何だ?
思い出はこれからも作っていける。
なぜそんなことを言う?」
ディーンが冗談めかして「意味なんてねーよ。ちょっとそう思っただけ!」と笑う。
必死で作り笑いをしているディーンを、ホレイショが抱きしめる。
「ディーン。
昼間、俺が告白したことを忘れたか?」
ディーンが返事の代わりに、ぎゅとホレイショに抱きつく。
「ディーン…それでいい。
俺から離れるな。
これからも毎日楽しくて幸せな思い出を沢山作るんだ」
ディーンは黙ったまま、ホレイショの胸に顔を埋めている。
「今日、検事局長から許可を貰った。
ディーンはこれからも俺の家で今迄通り生活出来る。
但し、記憶を取り戻す為のカウンセリングを受ける事が条件だ。
それでもいいか?」
少しの沈黙の後、ディーンが小さな声で「うん」と答える。
ホレイショが微笑み、ディーンの顔中にキスを落とす。
ディーンはクスクス笑いながら、「もう分かったから!」と言って、今度は自分からホレイショの唇にチュッとキスをする。
ホレイショはディーンの頭をくしゃっと撫でると、「キャンドルとバブルバスの用意をしよう」と言って、ディーンの手を引き寝室に入って行った。
その夜ホレイショとディーンはキャンドルの甘い香りに包まれ、バブルバスの中で何度もキスを繰り返していた。
二人に言葉は無い。
ただキスの合間に、ホレイショが「ディーン、愛してる」と囁くだけだ。
ディーンはその度に、嬉しそうにホレイショにキスを返す。
そして一度だけお互いの手を使って達した。
そして風呂から出ると前後の薬を注入し、ホレイショの腕の中でディーンは眠りに落ちた。
ディーンの幸せそうな寝顔が、ホレイショも幸せにする。
そうしてホレイショもディーンの温もりを感じながら眠りに落ちていった。
翌朝は快晴だった。
ディーンの再検査の予定は午前10時30分。
血を抜いた殺人犯とレイプ犯や『サム・ゴードン』のディーン奪回に備えて、わざと中途半端な時間に『記録上』設定された。
本当の再検査の時間は病院の外来が開く午前9時で、この事は病院側では医師とその秘書と受付の責任者一名、警察側ではホレイショとトリップと5人の制服警官とスワットチームしか知らない。
もっと正確に言えば、制服警官達は午前中の3時間、病院の10階で重要証人の検査があるので、その為の警護としか伝えられていない。
スワットチームも制服警官と同様の理由を聞かされ、病院の裏口で待機している。
それにディーンが検査を受けるのは、ディーンを助け出した直後に検査をした医師のオフィスのある階で、ディーンの他に患者の出入りは無く、関係者以外立ち入り禁止だ。
ハマーでは目立つので、ホレイショとディーンは何処にでもありそうなセダンで病院に到着した。
そして救急外来専用の入口から病院に入る。
車はそのまま救急外来専用の入口に置いておき、トリップが駐車場に止める手筈だ。
ディーンは朝から緊張していて、食欲が無いと言ってコーヒーしか口にしないし、洋服を選ぶことも出来なかった。
ホレイショがかいがいしくシャワーから洋服選びまでディーンの世話を焼いてやり、ディーンもされるがままだった。
ディーンは白地に薄いイエローで鳥や植物の繊細な刺繍の入ったシャツにジーンズに革靴という出で立ちだ。
全てのコーディネートが、ディーンのヘイゼルグリーンの瞳やダークブロンドの髪、果ては肌まで引き立てて、元々美しい容姿のディーンをすれ違う人々が振り返らずにはいられない美しさにしてしまっている。
ホレイショは思わず自分のコーディネートのセンスに苦笑してしまった。
ホレイショはいつもと変わらないスーツ姿で、そんなディーンにぴったりと寄り添って歩く。
エレベーターで二人切りになると、ディーンがホレイショに寄りかかりため息をつく。
ホレイショがディーンの肩を抱いて「何も心配要らない」と囁くと、ディーンの耳に軽くキスをする。
瞬間ディーンがボッと真っ赤になり、「何すんだよ!?」と言ってホレイショから一歩後ずさる。
ホレイショは笑って「それだけ元気があれば大丈夫だ」とディーンの肩を引き寄せる。
その時、チンと軽快な音がして10階に到着した。
検査は順調に終わった。
医師は弾んだ声で「きちんと薬を使用していましたね。もう普通の生活に戻って頂いて結構ですよ」と太鼓判を押してくれた。
初めての検査の時と同じく、ディーンの手を握っていたホレイショが「良かったな」と言って、ディーンのおでこにキスを落とす。
ディーンも嬉しそうに「ありがとう、ホレイショ」と言って満面の笑みだ。
そして医師が「もう着替えて頂いて結構ですよ。それとケイン警部補に見てもらいたい書類があります」と言った。
ホレイショはやさしく微笑むと、「ディーンは着替えてろ。俺も直ぐに戻る。警備は万全だが、俺が戻るまで着替えてもこの部屋から出るなよ」と言う。
ディーンもニコッと笑うと、「分かった。待ってる」と言ってホレイショの頬にキスをする。
ホレイショはディーンの頭をポンと叩くと、「そういうことをするなら、家に帰ったらどうなるかな?」と言い残して部屋を出て行く。
扉が閉じる音を聞くと、ディーンは早速検査用のベッドから降り、検査着を脱ぎ、服を着てゆく。
そして洋服も靴も全て身に付けたその時だった。
「ディーン、私だ」と部屋の隅から声がして、白いポロシャツの上にグリーンのエプロンをした男が現れた。
男は30代くらいで、エプロンの左上にフラワーショップらしき名前と、氏名が刻印されたプラスチック製の名札をしている。
ディーンは余りに驚いて言葉が出なかった。
男は切羽詰まった声で言った。
「ディーン、『ポキプシー』だ!」
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