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第5話
朝の日差しが降り注いでいるファミレスの一角で、トリップが頬を紅潮させ興奮しながら話していた。
相手はデルコだ。
それでも周囲の客に話の内容が漏れないようにしているのは、流石ベテラン刑事の習性と言えるだろう。
「本当に凄かったんだぞ!
ホレイショとタイターニアのキスシーンは!
口が離れそうになる度にタイターニアは『もっともっと』と強請るし、ホレイショはホレイショでタイターニアの頭の後ろと顎をがっちり掴んで固定してるし!
俺は真っ赤になって馬鹿面をして、二人を見てるしか出来なかったよ!
どうか画像がネットに流出したり、マスコミが現れませんようにって祈りながらな!」
デルコがコーヒーカップを掴むとニヤッと笑う。
「それで?
わざわざ朝メシ奢るなんて言って呼び出しといて、チーフのキスシーンを再現するだけじゃ無いんだろ?
早く本題に入れよ」
トリップがゴホンと咳払いをする。
「分かってるって!
それと他のCSIのメンバーにはまだ内緒だぞ!
それで三分はキスを続けていたら…」
「三分も!?」
「お前こそ、話の腰を折るな!」
「ごめんごめん。
それで?」
「突然白いメルセデスが急発進して、ホレイショとタイターニアの横を狙ったように走り去って行った。
そしたらタイターニアがホレイショの胸をとんとんと叩いた。
ホレイショがタイターニアの頭と顎から手を離してキスを止めると、タイターニアのヤツ…にっこり笑って『サンキュ!』の一言で『クラブ・ラミー』に入って行っちまった!
ホレイショは黙ってタイターニアを見送ってるだけだし!
その後、何にも無かったように花屋に行ったんだぞ!?
何なんだもう!」
デルコがフォークで目玉焼きを突きながら、「急発進?つまり直ぐ近くでチーフ達のキスシーンを見てた可能性があるってことだよな?」と訊く。
トリップがうんうんと頷く。
「ああ。
俺の車の後ろに停車していた車だ。
バッチリ見えてただろうな」
「それでナンバープレートは?」
「勿論、覚えたさ!
それにホレイショも覚えていた」
デルコが納得した顔で頷く。
「流石チーフだな。
それだけ強烈なキスを続けながも、周囲の確認も怠らないんだから。
それで?
誰の車だったんだ?」
トリップが一瞬言い淀むと、答えた。
「ミッチェル・ボーン教授の車だよ」
ホレイショのガラス張りのオフィスのドアがノックされる。
ホレイショがデスクから顔を上げるとカリーがいた。
「どうぞ」
ホレイショの言葉に、カリーがニコッと笑ってオフィスに入って来る。
「その笑顔は…何か収穫があったのか?」
「ええ、そうよ。
アレックスに呼ばれたわ。
三件目の遺体を徹底的に調べていたらこれを見付けたの」
カリーがファイルを開いてホレイショのデスクに置く。
ホレイショがファイルを手に取る。
「これは遺体の頭部だな。
髪を剃ったのか?」
「ええ、そう。
薬物検査で何も出なかったでしょう?
だけど今回の殺人事件は子供だけじゃなくて、大人も抵抗させずに座らせなくてはならない。
それに麻酔薬を口径で取らせるのは現実的じゃないわ。
だって『長男』の部屋は三軒とも二階にあった。
父親の中には寝室が一階で、190センチ100キロを越える体格の人もいたわ。
そんな体格の人を傷一つ付ける事無く二階に運ぶにはどうしたか?」
ホレイショがファイルから目を離さず言う。
「銃で脅して自ら歩かせる、か」
「そう!
そしてそれが麻酔銃だったら?
『長男』をどうしたのかは分からないけれど、まず子供達を麻酔薬で眠らせておく。
それから一番小さな子供をまるで意識があるかの様に小脇に抱えて、その子の頭に銃を突き付け、『長男』の部屋へ行けと命令すれば、両親は必ず命令通りに動く。
暗ければ、本物の銃か麻酔銃かなんて一般人には分からないしね。
私がそう仮説を立ててアレックスに被害者の身体中を調べて貰ったんだけど、注射痕はどこにも無かった。
手や足の指の間にも、どこにも。
それでアレックスが閃いたの。
後頭部じゃないかって。
それで三件目の被害者家族全員の髪を剃ったら、丁度頭蓋骨と首筋の境い目スレスレに注射痕があったわ。
これで抵抗が出来ない状態で、生きたまま喉を切り裂かれた説明がつく。
だけど針は無かった。
犯人は痕跡を隠す為にわざわざ針を抜いて行ったのね。
そして私達が注射痕を見逃す要因の一つにもなったんだけど、この犯人は針を抜いた後、不織布で止血までしているんじゃないかと推測出来る。
なぜなら生きたまま首を裂かれているのだから、後頭部からも出血があった筈なのにそれが無い。
そこから推測出来るのは、止血をしたということ。
そして止血の為にコットンやガーゼを使えば、繊維片のような『何か』が皮膚に残る可能性があるし、私達はそれを見逃さない。
不織布と言っても色々あるけど、ここでエミリーの登場よ」
ホレイショがファイルから顔を上げる。
「ポリプロピレン。
紙オムツが必要な子供の居る家。
そして子供に銃を突き付ければ、両親が必ず要求を飲む確信のある、愛情に満ちた家」
カリーがホレイショを見つめたまま頷く。
「その情報をエミリーから得ていた。
一度や二度なら偶然でも、三度の偶然は有り得ないわ」
ホレイショがファイルを閉じ、カリーの前に置く。
「そうだな。
だがヤツには完璧なアリバイがある。
そして動機も分からない。
それに欠けた血染めの指紋をわざわざ残す理由は?」
カリーがにっこり笑い返す。
「でもこれでミッチェル・ボーンを捜査する理由が出来たわ。
薬物検査でも出ない代謝の早い麻酔薬を麻酔銃で注射した『かも』しれないなんて推測と、注射痕だけでは物的証拠も足りないし、チーフの言う通り動機も分からないから礼状を取るのは無理だけど。
それに今、エミリーは男の子が居る家にシッターに行っていない。
別の情報源を見つけ出せば、ボーンに辿り着くかも。
それからもう一つ。
花屋から借りたサー・サンダース御用達のプリザーブドフラワーを入れるスワロフスキー社製のガラスケースと、サー・サンダースが襲撃された車の窓ガラスに混じっていたガラス片は、質量分析で完全に一致したわ」
ホレイショが静かに立ち上がる。
「そうか。
ガラス片の件はトリップに報告しておいてくれ。
取り敢えずサー・サンダースの件は今は刑事課に任せて、俺達は連続殺人事件に集中しよう。
全員で徹底的に捜査に当たれ。
どんな小さな証拠も見逃すな。
但し、ボーンに気付かれないように。
俺はボーンの動機を探ってみる」
「当てがあるの?」
ホレイショは「当たってみる価値はある」と答えると、サングラスを掛けた。
ホレイショのハマーの運転席側の窓がコンコンと軽い音を立ててノックされる。
ホレイショが窓越しに見た男は上から下まで黒いスーツ、黒いネクタイ、黒い皮靴で決めた30代前半の男で、整った顔立ちに柔和そうな笑顔を浮かべているが、その目は笑っていない。
ホレイショはその男のオーダーメイドのエレガントなスーツには、そうとは分からない様に、脇に拳銃一丁、内ポケットにナイフ、足首に予備の拳銃があることを見抜いていた。
ホレイショがハマーの窓を下げる。
男が恭しくお辞儀をする。
「ホレイショ・ケイン様。
私の主、ロウィーナ・スペンサーがお茶でもいかがでしょうかと申し上げておりますが」
「『クラブ・ラミー』で?」
「ケイン様に差支えが無ければ」
「行きましょう」
そうして二人は『クラブ・ラミー』の従業員入口から建物の中へと入って行った。
ホレイショが案内されたのは、『クラブ・ラミー』の別館だった。
『クラブ・ラミー』からは屋根付きの通路で繋がっている。
『クラブ・ラミー』が荘厳な建物ならば、この別館は華美な建物という言葉がピッタリだろう。
二階建ての別館の中は、完璧なロココ調で白い壁に金色の装飾で埋め尽くされている。
ホレイショは一階にあるガラス張りのテラスに案内された。
長い赤毛を背中に垂らし、黒いドレスを来た女性が椅子から立ち上がる。
女性は優雅に微笑んで言った。
「初めまして、ケイン警部補。
私はロウィーナ・スペンサー。
このクラブの実質的なオーナーですわ。
ご存知でしょうけど」
「どうも」
ホレイショがそう言ってサングラスを外す。
「さあ、お座りになって。
ここには私達二人しかおりません」
ロウィーナが椅子に座ると、ホレイショが「そのようですね」と答え、空いている椅子に座る。
ロウィーナが繊細なロココ調のデザインのティーポットから、カップに紅茶を注ぐ。
「お飲みになる?」
「いいえ」
「ではコーヒーを持ってこさせましょうか?」
「何もいりません」
ロウィーナがクスッと笑い、「そう仰ると思っていたわ。では私は頂くわ」と言うとお茶を一口飲む。
そうしてロウィーナがソーサーにカップを置く。
ロウィーナがホレイショを見て微笑みながら、「ご用は何ですの?」と訊く。
「人を待っていました」
「あら?
てっきり張り込みかと。
それにしては『あの』ハマーでは目立ち過ぎると思いましたけど」
「わざとです。
ハマーに乗っていれば待ち人が向こうからやって来る」
「凄い自信ですわね。
それでこそホレイショ・ケインですけど」
ホレイショがフッと冷たく笑う。
「それであなたが私を呼んだ理由は?」
「ケイン警部補はマイアミのヒーローですわ。
マイアミに住む者で、あなたに感謝していない者はいません。
悪人以外はね。
ですから捜査に協力させて頂きたいと思ったんですの」
「と言うと?」
「待ち人…タイターニアに会わせて差し上げますわ。
商売抜きで。
いかが?」
「それは有難いが…あの子の商売はどうなる?」
「え?」
ロウィーナが戸惑った瞳でホレイショを見る。
だがホレイショは至って冷静な眼差しでロウィーナを見ている。
「私に会うことであの子の今日の給料が減るのは、私の本意では無い。
あの子と話す間の支払いはする。
1時間あの子が話すだけの報酬は幾らだ?」
ロウィーナが目を見開き、頬を紅潮させる。
「ケイン警部補…!
あなたって方は…!」
「金額を」
「1時間話すだけなら100ドル」
ホレイショが財布から100ドル札を一枚取り出しロウィーナの前に置く。
ロウィーナがホレイショに向かい、そっと100ドル札を返すと言った。
「タイターニアに直接渡してやって」
そしてロウィーナはテーブルの上の電話の内線を押した。
「タイターニアを別館のサンルームに呼びなさい。
今、直ぐに」
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