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第2話 1月27日(月) 一緒に帰ろう
週の頭の月曜日。土日と違って平日は練習時間が少ない。だからこそみっちりとメニューを組み、集中して練習をする。
外で雪がちらついていようが、終わればみんな汗だくだ。
さてこの季節、俺は気を抜けばすぐに風邪をひく。だからいつも乾いたタオルでしっかりと汗を拭き、裏起毛のコンプレッションインナーを着て帰りに汗冷えしないようにしている。
俺の風邪対策はさておき、昨日の犬谷による告白事件が嘘だったかのように今日は平和だった。
いつもと同じ。特に犬谷とは親しく会話を交わすこともなく「お前もいい加減後輩の面倒ちゃんと見ろバカ」とか、俺がいつものように小言を言う。それに対して犬谷はシカト。
本当に今までと同じ日常だった。
俺は口が悪いし、やっぱり昨日のあれは何かの間違いだったんだろう。そう思いながら首の詰まったコンプレッションインナーを頭からかぶり襟首からスポンと顔を出すと、パチパチと静電気で髪が外にはねる。
それをささっと撫でつけていると後ろから声をかけられた。
「鳶坂」
犬谷だ。もう着替え終わっているのに、まだ帰らず部室にいたようだ。
「なんだよ」
ドキリとしたことを悟られないように、冷たく返事をする。犬谷は何かを言いかけるように数回口をパクパクさせながら、何も喋らなかった。
しびれを切らして「おい」と言いかけた時だった。
「いっしょ、帰ろう」
その瞬間、ざわついていた部室がシンと静まり返った。間違ってもこの男、犬谷は誰かとつるんだりしない男だからだ。
しかもお前は、いつもの無表情はどうした。顔が赤い。妙に人間味あふれているじゃないか。
「俺、チャリなんだけど」
「押して帰るじゃ、だめか?」
あの犬谷が俺にお伺いをたてている。そこまで言われてしまうと後輩の手前断ることができない。
「いい、けど。俺、まだ部誌書いてねえから、時間かかっけど?」
「ん、待ってる」
パタン。そんな音を立てて部室の扉が閉まる。犬谷が部室を出た瞬間、1年の後輩たちがわらわらと寄ってきた。
「ちょ、犬谷先輩どうしたんっすか?」
「俺、犬谷先輩が自分から人に話しかけるの、はじめて見たっす」
「ハッハッハー、なんだろうな。悩みでもあんのかなー?」
乾いた作り笑いしかでない俺は、犬谷の変貌ぶりに不気味そうな顔をしている後輩や、明日はもっと雪が降るだとか意外と失礼なことを言っている後輩を叱る余裕はなかった。
「はぁ、どうしよう」
キャプテンになってから、なるべく後輩たちの帰りを見届けてから部誌を書き、それから俺も帰るようにしている。
冬の部室は人がいなくなると途端に冷え込む。そういえば、待ってると言って外へ出た犬谷は寒くないのだろうか。
慌てて部室の外へ出ると、犬谷がいた。頭にはほんの少しだけ雪が乗っている。
「ちょ、テメェ風邪引くだろ?! 中入っとけバカ!」
「俺は鳶坂と違って、風邪は引かない。去年とか」
「ハァ? 去年?」
「鳶坂この時期、結構長く休んでた。そのあとも、鼻水すごかった。かわいかった……」
「うっせぇなあ! 俺だって学んで対策してんだよ! ほら、これとか!」
何となく良からぬ一言が最後加えられた気がしたが、それは無視してスポーツバッグの中からタブレットになったグルタミンのサプリメントを見せた。
犬谷は俺の手からサプリメントのボトルを取ると商品表示欄をジッと読んでいる。
「これ、グルタミン含有量80%……こっちのがおすすめだ」
犬谷がスポーツバッグの中から大きめのサプリメントボトルを取り出す。
「なんだそれ?」
「これもグルタミンだ。粉だから普段飲んでるドリンクに混ぜて飲むといい」
はい、と渡されたそれと犬谷を交互に見る。
「え、くれんの?」
「誕生日、なにもできなかったから。それ、俺も飲んでるし」
「あ、ありがと……」
「ん、」
「えっと、あとちょっとだから」
「待ってる」
俺は急いで残りの部誌の項目を埋めていった。
帰り道。街灯に照らされた雪がふわりと舞う。この地域の雪は降っては消えるように解ける。
だからこそ俺はこんな時期でも自転車で通学できるのだが、今日は本来40分もかからず帰りつける道のりをだらだらと押して犬谷と一緒に帰っている。
無言。沈黙。会話ゼロ。
正直、これならチャリに乗ってさっさと帰りたい。
しかし悲しいかな、気遣いのできる男の俺としては、こういう状況になってしまうとつい話を振ってしまうのだ。
「なあ。さっきいつもさっさと一人で帰るお前が俺のこと誘ってたから、後輩らが驚いてたぞ」
「どうでもいい」
「お前さあ、一応エースなんだから、ちょっとは後輩らと喋ってやれよ? お前の近寄るなオーラ、マジやばすぎ」
「鳶坂以外、どうでもいい」
目は口ほどに物を言う。
これは確か現国のハゲ先生が授業中に言って、どんな経緯だったかは忘れたが女子をドン引きさせた言葉だが、今の犬谷の目はまさにそれだと思う。
犬谷の俺を見る目があまりにも熱くて、視線をそらすように前を向いた。
「あのさぁ、なんで俺なワケ?」
まっすぐ前を見て尋ねる。これは素朴な疑問だった。
無駄に女子にモテる犬谷だ。仮に男が好みだったとしても、顔も目つきも口も悪い俺なんかじゃなくてもっと顔のいい男が選び放題だろう。
それとも犬谷には何か決定的な、モテない致命傷があるのだろうか。例えば脇が臭いとか……は、無いか。犬谷は汗かいてもいい匂いしかしない。制汗剤でも使っているのかもしれないが、やはりイケメンは汗すらもイケメンなのか。
「ずっと、見てた」
「はァ?」
汗もイケメンってなんだよ、とセルフツッコミを入れようとしたところで犬谷が言った。
見ていた? 俺を? この無口無愛想野郎が?
1年のころ、仲良くしようと声をかけた俺をシカトしたのはどこのどいつだ。
団体競技はチームの一体感が大事だと、俺はずっと思っていた。だから同じ1年同士仲良くしようと声をかけたのに、まさかのシカト。
人見知りかと思って何度か話しかけても、さらに先輩が話しかけてもシカト。
このシカト野郎とイライラしていた。俺はこいつが、正直嫌いだった。
とはいえ、バスケの技術は最高で、まるでボールが生きているんじゃないかというほどに、犬谷がゴールに投げるボールは直径45㎝のリングに吸い込まれていく。
いつでも、どこからでも。絶対に外さない。
しかも顔がいい。女子にもモテる。練習試合があった日には女子がワーキャーとまるでライブ会場かのように騒ぐレベルだ。
それも気に入らない。女の子にモテたくてバスケをはじめたタイプの俺としては、正直非常にムカつく。
そんな犬谷が俺を好きだと言ったり、お伺いを立ててくる。
ちらりと視線だけ動かして犬谷を見た。
「見てたんだ」
まっすぐ前を見て、口元は笑っていた。横の街灯が目の下にまつ毛の影を作っている。
「なんだよ、それ」
ふと気が付けばもう家のマンションの前だった。
「俺んち、ここだから」
「そうか」
自転車のハンドルを握っている俺の手に犬谷の手が乗せられる。
「手、冷たくなったな、ごめん」
「いや、別に」
犬谷の手が重ねられた左手の甲がじんわりと、お風呂に入ったときみたいにあたたかくなる。
「じゃあ、また明日」
そう言って犬谷の熱が離れていく。
「おう」
何となくさみしいと感じたのは、きっと気のせいだろう。
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