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第17話 2月11日(火) 姉のドロップキック
「おはよー」
「おはよ、俊希」
朝起きると姉がテレビを見ていた。
いつものように食パンを2枚焼いてマーガリンを塗って食べる。マーガリンもバターも同じだと思っていたが、やはりバターの方が美味しかったと思う。
「ねっねっ! 俊希さあ、昨日一緒に駐輪場にいた子って結局なんなの?」
犬谷の家に泊ったときのことを思い出しながらパンを食べていたら姉が少し興奮した様子で話しかけてきた。
「だから……俺と同じバスケ部の、同級生」
「それだけ?」
姉は不服そうな顔をして俺を睨みつけて、俺の横の椅子に腰かける。
「だけってなんだよ、だけって」
「彼氏かなーって。お姉ちゃん期待したんだけど」
姉の返事に手に持っていたトーストを皿の上に取り落してしまった。
この姉はいつもそうだ。最近離れていたから忘れていたが、昔からこう人のことにズケズケと入り込んでくるんだ。
「なんでだよ!」
この姉といるとお笑い芸人かというくらいツッコミを入れてしまう。
付き合ってられない。さっさと朝ご飯を食べて部屋でテスト勉強をしようと、俺はトーストを食べる速度を速める。
「んっとね、犬谷くんが私の彼氏と同じ目してたから」
「……どんな」
「大切で大切で堪りませ~ん。お前にメロメロ~って目です」
相変わらず姉のボキャブラリーはどうかしてると思う。こんなやつが社会に出て働いているなんて信じられない。日本は大丈夫なのかと不安になると同時に、じゃあ俺も大丈夫だなと変な自信が湧いてくる。
「つか姉ちゃん、彼氏いんの?」
待て待て、そっちの方がビックリする。姉が俺にスマホを投げて寄越す。
姉のスマホには、きれいな顔をした韓国アイドルにいそうな男の人が笑っていた。こんなイケメンが姉にメロメロだなんて信じられない。元空手部主将の姉のことだ。このイケメンを脅して付き合っている説を俺は推す。
「つーかさあ、犬谷は男だぜ? だったとしても、気の迷いじゃん……絶対」
そうなのだ。犬谷を好きだと思っている自分がいるが、気の迷いだということも大いにある。自分に言い聞かせるように答える。
「恋愛なんてこと自体一時の気の迷い。もはや病気よ。まあ、私の彼氏も元々は女だしね」
衝撃の事実をさらりと言うんじゃないよと思う。俺の姉はいつもこうだ。
「マジ? 姉ちゃんにはもったいないこのイケメンが? ぐあっ!」
失言に対してノールックの裏拳で殴ってくる姉は恐ろしい。
「私のことはどうでもいいのよ。問題はアンタでしょ? で? 結局アンタはあの犬谷くんが好きなの? 嫌いなの?」
「わかんねぇよ……」
好き、だとは思う。
でも、今さら自分から好きと言うのも恥ずかしいし、犬谷は付き合っていると思っているならもうこのままズルズルと関係を進めてもいい気もしているところだ。
「ぶっちゃけ、結局好きか嫌いかってトコが重要なんじゃない? 好きならそれでいいのよ」
そう、この姉はいつも妙なところで核心をつく。そして背中をドロップキックするように押してくるのだ。
好きならそれでいいのかと、なんとなく救われた気持ちになる。
「でもチューしようとしてたでしょ?」
「え?」
「てかあんたさあ。あんなキス待ちしてる顔晒しといて、嫌いとかありえないでしょ」
「は……?」
心拍数が上がり、顔に熱が集中するのが分かる。
頭を殴られた気がした。何が大切で堪らない目だ。全部見てたんじゃねえか!
「素直になりなよ。人間、素直にならないと損するよ」
もう本当にこの姉は嫌だ。心臓に悪い。
「勉強してくる」
「ねね! 今日の昼、私作ってあげるけどチャーハンでいい?」
「なんでもいい!」
自分の部屋に戻ると、スマホにトークアプリの通知が来ていた。犬谷からだ。
折り返し電話をかけると、1コールで犬谷は電話に出た。
「もしもし? ワリィ、スマホ部屋に置きっぱだった」
『いや、いい』
「どうかした?」
『教えた数学、大丈夫だったかと思って』
「ああ、あれね! 数学の金田より分かりやすかったから、マジ助かった」
『よかった』
声の感じから、犬谷が今笑ったような気がした。いつもの優しい顔なんだろうか。
「いやでも数学とか意味わかんねぇし、しんどいわ。暗記しかねぇじゃん」
『現国の方が難しい』
「なんでー? 日本語じゃん」
『答えがいくつもあって難しい』
「そうかあ? そのときの感情を述べよとか、なんとなくわかんじゃん」
『そいつの感情が分かるのはそいつだけだ。予想するなら答えは無限にある』
「お前、意外とひねくれてるな」
『そうでもない。例えば鳶坂の気持ちは、鳶坂が一番わかることであって、俺には分からない』
「そりゃ、そうかもしんねぇけど。でも問題の中だったら、何となく予想できんじゃん」
『まあな』
沈黙。最近は犬谷の沈黙も、あれだけ無愛想な奴ががんばって話をした疲れからくるものなんじゃないかとか、いいように考えてしまって困る。
『勉強、わからねえとこがあったら、連絡していいから』
「あ、ありがと……」
『じゃあ、また』
犬谷がそう言うと、すぐに電話は切れた。
「赤点、取らねえようにしないとな」
そしてその後、何度も『犬谷先生』を頼った俺は、本当に数学が嫌いなんだという真理にたどり着いた。
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