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第20話 2月14日(金) バレンタインの乱
ついにテストは最終日だ。だというのに、今日は俺の苦手な理数系科目のオンパレードである。
それでも新キャプテンとして赤点を取るわけにはいかない。必死でがんばった。そう、俺は必死でがんばったんだ。
「鳶坂、生きてるか?」
脳みそを使い果たした俺はホームルームの後、机にぐったりとうな垂れる。そんな俺を犬谷が迎えに来たようで、顔を上げると無表情の奥にうっすらと笑顔が見えた。
「ギリギリ生きてる」
「帰ろう」
「……おう」
部活は今日まで休みだ。明日から再開する部活について話しながら帰る道のりはどうしようもなく楽しい。
「明日、どうする」
送り届けてもらった家の駐輪場の中、犬谷が口を開いた。
「え?」
完全に、というのはさすがに言い過ぎだが、失念していたのは確かだ。明日は犬谷の誕生日。そしてあの『お願い』の日でもある。
俺の唾を飲み込む音が、この静かな駐輪場に響いた気がした。
「ごめん……明日のことの前に、これ」
犬谷が紙袋を差し出してきた。
「え、これって」
「バレンタイン」
ドキリとした。もちろん忘れてはいない。今日はバレンタインだ。
俺の鞄の中にも、昨日買ったチョコ味のプロテインバーが入っている。女じゃあるまいし、そんなにこだわらなくてもいいだろうという思いを込めてのそのチョイスだった。
しかし犬谷が差し出してきた紙袋はなんだ。
チョコやなんやに疎い俺ですら知っている、有名な高級チョコのロゴが入った紙袋ではないか。
「チョコ、なんだけど」
ん、と言って差し出してくる紙袋を受け取ると、中にはそこそこ大きな箱が入っている。
『え、これガチなやつじゃん』
これに対して俺のチョコはなんだ? コンビニで163円で買ったプロテインバーだ。
金額的にも気持ち的にも、この差は大きい。高低差がありすぎだ。
「あー、俺……その」
「別に、いい」
渡すべきか、渡さずにおくべきか。迷いながら言い淀んでいると犬谷はそんなあっさりとした返事をした。
「俺が、渡したかっただけだから」
犬谷はそう言うと、小さく深呼吸をした。
「ごめん、鳶坂」
「え?」
「俺、知ってた。別に鳶坂が俺の事、好きじゃないって」
犬谷の言葉が理解できない。頭の中が真っ白になる。
「鳶坂、優しいから、俺がそう捉えたって言ったら、間違いって言えないって。だから勝手に、そう捉えた」
知ってたって、なんだよ。
「でも、そのチョコは、もらってほしい」
何でそんなこと言うんだよ。
「明日も、無理しなくていい」
無理って、なんだよ。
「でも、明日までは、このままで……いいか?」
何でそんな泣きそうなツラしてんだよ。
ということは、明日が終わったら、俺たちは別れるってことか?
ちゃんと呼吸できているのかが分からないくらい苦しい。
何で俺、こんなに苦しいんだ?
なんだよ、俺。
答えは簡単だった。
犬谷のこと、マジで好きなんじゃん。
じゃあ、と言って犬谷が帰ろうとする。
それでいいのか? いや、良くない。
「お、おい!」
「ん?」
「あの、さ……これ」
通学鞄を漁って買っておいたプロテインバーをコンビニの袋ごと取り出すと、俺は犬谷に渡した。犬谷は袋からプロテインバーを出してしげしげと眺めている。
「それ、バレンタイン。悪ぃな、そんなんで」
「わざわざ、買ってくれたのか?」
コンビニの袋に入っていたレシートを見ながらそう言った犬谷の手からレシートだけひったくる。
「うれしい……ありがとう」
犬谷の顔が少しずつ笑顔になっていくと、すうっとからだの中に酸素が入っていく気がした。
「犬谷! また、明日な」
「ん、」
犬谷は大事そうにプロテインバーを鞄に入れて帰って行った。
結局好きだと言えないまま、犬谷は帰ってしまった。
家に入ると姉はもう東京へ帰っていた。母さんもパートでいない。
普段は何も感じないのに、今日は誰かが家にいたらいいのになんて甘えたことを思ってしまう。
制服から部屋着のスウェットパーカーに着替えてベッドに横になる。
「俺、最悪だ」
犬谷は俺が聞き返した言葉をあえて肯定と捉えることで付き合うことができたと言った。
つまり今も俺が犬谷のことを好きではないと思っているということだ。
どうやって伝えたらいいだろうか。もう今さらどうやって気持ちを伝えたらいいのかわからない。
ぼんやりと天井を見ているとスマホが震える。電話だ。ディスプレイには岡田先輩と出ている。
「もしもし?」
『今いいか? トビんちの横の公園にいるんだけど』
「は?」
『ちょっと会って話がしたい』
慌てて家を出ると、本当に岡田先輩が公園にいた。
「悪いな」
「大丈夫っす。てか岡田先輩俺んち知ってたんっすね」
「まあ、部員名簿管理してたしな」
なるほど。確かに俺も名簿は管理している。
「で、どうしたんっすか?」
「なあ、一昨日のこと、覚えてるか?」
岡田先輩の冗談で軽い修羅場になったあの一件だろう。そう簡単に忘れられるものじゃない。
「はい、まあ……」
「あれ、マジだって言ったら、トビはどうする?」
またまた、そんな冗談を。と言いかけたが、岡田先輩の顔がまるでバスケの試合中の時に見せる真剣な顔をしていて、その言葉を飲み込んだ。
「さっきそこで犬谷とすれ違った。お前に告白するって言ったら、どうぞって言ったから、言わせてもらう」
ということは犬谷は今、俺と岡田先輩がふたりで会っていることを知っているのか。そう思うとまた犬谷があの悲しそうな顔をしているのではないかとまた胸がずきりと痛んだ。
「去年のインハイの予選会でトビが俺たち3年をインハイに連れていきたかったって、泣いてくれたよな。あの時の顔を見た時から、ずっとトビが好きだった。墓場まで持っていこうと思ってたけど、あの犬谷すらお前に気持ちを伝えたわけだし、後悔したくないからさ。なあトビ、俺と付き合ってくれないか?」
犬谷よりちゃんとした告白だった。そうだ。告白というものは好きだの一言でいい訳がない。
「え、ムリ」
しかしついうっかりと俺の口から出た言葉は、先輩に対して言っていい言葉ではなかった。
「あ、じゃなくて! その、俺、一応、犬谷と付き合ってるんで。それは、だめです」
「ムリ、か」
慌てて取り繕ったが、意外と岡田先輩は気にしている素ぶりはなく、フフと笑っていた。
「えっと、確かに、ぶっちゃけ岡田先輩の方がみんなに優しいし、話してて楽しいし、人間ができてるんですけど、けど……岡田先輩とはキスできないっつーか」
そこまで言ってハッとする。俺はバカなのか? そこは普通に付き合えませんでいいだろう。思わずセルフツッコミをしてしまった。
いよいよ声を上げて笑い出した岡田先輩は腹を抱えてヒーヒー言っている。
「その、すんません」
「いや、当たって砕けろって思ってたし。そーかそーか、トビもちゃんと犬谷のこと好きなんだな」
「まあ、はい」
「だったらいいんだ。幸せになれよ、トビ」
「あの、岡田先輩!」
「ん?」
「また、バスケしましょう」
「コテンパンに負かしてやるよ」
そう言って岡田先輩は帰って行った。
岡田先輩に言えて、犬谷本人に好きだと言えないなんて俺はどうかしてる。
明日は犬谷の誕生日だ。もう明日しかない。
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