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第10話(帝国ホテル編)

「これは……お前が極めた時に噛み付いたものだ。覚えて居ないようだな、その様子だと」  瞬時に頬を紅潮させた片桐だったが、耳元に囁きを残した。 「……覚えて居ない。しかし痛かっただろう。済まない」 「いや、痛くは無い。これからも付けて貰いたいものだな。お前の極みの証に……」  彼は真面目な顔をして聞いて来た。 「いいのか。痛いのに」 「ああ、お前が与える痛みならどんなものでも甘受する積りだ。痛みと言えば、お前と逢えない日々の心の方が痛かった」 「……オレも…だ……」  浴槽にお湯が溜まったので、バスロウブを脱がし、一緒に入った。広めの浴槽とは言え男性二人で入るのは少し小さ目だった。自分が下になり片桐を抱きかかえる格好で入浴した。 「こうしていると、あの暗黒の日々が嘘の様だ。あの時は…本当に死んでも良いと思っていた。それなのに、晃彦とこうしていられるなど夢……の様だ……」  語尾が小さく震えたので気になっていると、湯に一滴、二滴と波紋が出来た。どうやら涙が止まらないらしい。力強く抱き締める。 「これからはずっと一緒だ。英吉利でも、どこに居ても」 「約束してくれるか」 「ああ。約束する。俺を信じて呉れ」  外国の貴婦人にする様に手の甲に口付けし断言すると涙の雫は収まったようだ。 それを見計らうと浴槽から出して髪を丁寧に洗ってやった。髪は片桐の弱点の一つだ。気持ち良さそうに頭を預けて来る。  身体をコティの石鹸で洗い泡を流すと、片桐が思いついたように慌てて言った。 「晃彦、後は自分でするから先に上がっていて呉れないか」 「洗うところはもう残っていない筈だが……」  不思議に思ったが、彼の言う通り、先に浴衣を着て浴室を出た。  安楽椅子に座って、何故彼があの様に慌てた風情なのかを考えてみた。  自分の洗った箇所を思い返す。  洗っていない場所が一つだけ有った……。片桐の内部だ。  流石に彼も羞恥心が勝ったのだろう。一人で流せるかどうかはともかく自力で何とかしたかったに違いない。  その内、自分が丁寧に洗ってやろうと笑みが湧いた。  彼が浴室から出てくるのを待ちながら、先程二人が籠もっていた寝室を何気なく覗いた。  絶句してしまう。寝室は寝台が二つ有る部屋だったが、一つしか使って居ないベッドが綺麗に片付けられて居る。  長い間逢瀬が出来なかった分、一度では満足出来ない。そうかと言って二つの寝台で情を交わしてしまうと眠るのには厄介だったので危惧していたのだが、貴賓室の部屋係は顧客の動向を把握しているらしい。  恥ずかしさは当然あったが、それよりも部屋係の迅速な対応にただただ驚愕してしまう。  浴衣やバスロウブなども補充されている。  流石は東洋一のホテルだと感心した。客の動向をどこかで見張っているのだろうか……それともシャワーを使用したのが分かったのだろうか……?

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