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第13話(蜜月編)
船が横浜港を離れ、もう日本の陸地が見えなくなる頃、船室に促す船員がやって来た。
「私が、片桐様、加藤様をお世話する客室係の鶴見と申します。畏れ多くも高貴な方からの直々のご命令も御座いました。誠心誠意務めさせて戴く所存です」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
二人して頭を下げると鶴見は少し驚いたようだった。
特等先客係専門の男なのだろう。新興成金などは横柄な口をきく者も多いと聞く。自分達が頭を下げた事が意外だったのだろう。
鶴見の先導に従って、部屋に案内して貰った。
船室は予想していた以上に豪華だった。アールーヌーボーの船室に暖炉、色とりどりの花が飾られて居る。家具もアールーヌーボーで趣味良く統一されている。
次の間が寝室だった。何気なく寝台を見ると、多きさはおよそ二倍だったが、寝台は一つしかなかった。
彼と同じ寝台で眠るのは嬉しい。しかし、この寝台だと二人の関係を部屋付きの女中や鶴見さんに宣伝しているのと同じ事だ。
続いて入って来た片桐も顔を赤らめて絶句している。
……何か上手い言い訳を……
落ち着いて考えると「部屋を換えて欲しい」と言えば良かったのだが、この広い寝台で片桐の身体を隅々ませ愛撫したかったのは事実だ。
そんな事を考えて居ると、鶴見さんが事務的な口調で言った。
「畏れ多い方からお部屋はこうするようにとのご命令です。我々もホテルと同様、客様の秘密は守るのが一般的で御座います」
一般論に摩り替えているが、絢子様から差しさわりの無い位の命令は受け取っているのだろう。それでこんなに寝台が広くなったに違いない。
絢子様の無邪気な笑顔が見える様な気がした。
「分かりました。これから英吉利までどうか宜しくお願いします」
片桐はそう言って、用意していたのだろう、小ぶりの祝儀袋を渡した。洋風で言うチップだろうか。気付かなかった迂闊さが怨めしい。
「これはこれは有り難う存じます。御用の際は何時でもそのベルをお押し下さい」
一通り、部屋の事を説明すると鶴見氏は部屋から去って行った。
部屋に二人きりになると、どちらからともなく近付き抱き締めて接吻をした。
昨日も散々してきた行為だったが、彼と居るといつもこうしていたい…、もっと彼を感じたい…と切望してしまう。
もちろん一番欲しいのは永久に変わらない彼の心だったが。
勿論、今片桐が自分を好いてくれているのは痛い程分かって居る。しかし、それは「今」の話だ。これからはずっと一緒に居るのだから、お互いの欠点も見えてきてしまうだろう。自分は、片桐の全てを愛していると心の底から思うが、彼がどう思うかは別の話だ。
全ての問題が解決した今となっては、不安材料は彼の心変わりだけだった。
彼の心を永久に自分の物にしたいという渇望が心を苛む。
接吻を解くと、片桐は肩に頭を乗せて来る。
今は未だ愛されているのだと思った。
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