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第14話(蜜月編)

 彼の顔が見たくて、そっと顔を上向かせると恍惚とした顔を見せて呉れた。ただ、その顔に少し眠そうな表情が宿って居る。  無理も無い。帝国ホテルでは殆ど情を交わしていたのだから。 「夕食の時間まで眠れば良い」  髪を梳きながら言うと、彼は頷いた。 「晃彦が一緒に寝台に居て呉れるのなら眠る事が出来そうだ」  髪を触られるのが心地良いのだろう。うっとりとした表情は変わらない。 「ああ、眠るまで傍に居る」  寝室に行くと、窓から横浜港らしい光景が遥か遠くに見える。  日本の陸地を離れてしまう事に一抹の寂寥感は有ったが、それよりも開放感の方が大きかった。  服を脱ぐ段になって、片桐が思いついた様に皮袋を取り出す。 「それは何だ」  何気なく尋ねた。 「母上が餞別だと仰って下さった。中身は見て居ない」  早速開けてみる事にした。その中には、宝石が入っていた。自分も同じように宝石を母から貰っている。  英吉利で手元不如意になった時に売却出来易いのは宝石や金だろう。同じ事を考えて下さった母上達の事を思うと、郷愁が湧く。 「これは、最悪の事態になった時に使うべきだろうな。実は俺も母上から戴いた」  そう言って自分の皮袋を見せた。  片桐も、家族の事を考えているのだろう。少し寂しそうな顔をして居る。 「そうだな…英吉利で売る様な事態にならないようにしなければ」  シャツ一枚になって二人して寝台に上がり、片桐に腕枕をした。空いている方の手で髪を梳く。彼の細い髪は指通りが良いので、ずっとそうして居た。本来はシャツ一枚で眠りにつくなど普段の生活からは考えられなかった事だが、船の上という事で何をしても許される様な気がした。  片桐は頭の位置を少し下にし、耳を自分の胸に当るようにしてきた。 「晃彦の心臓の音が聞こえる」  独り言の様に呟くと、眠りの国に入って行った様だった。  波の音だけが聞こえる静かな部屋で、彼とこうしているのが途方も無い幸せを感じた。  ノックの音がした。いつの間にか辺りは黄昏時になっていた。片桐も凭れかかった状態で気持ち良さそうに眠っている。自分も知らず知らずの内に寝てしまったようだった。  片桐を起こさない様にそっと身体を離すと、入り口に向かった。  扉を開けようかと思ったが、生憎シャツははだけ、ズボンを穿いただけのだらしの無い格好のままだ。 「何の用ですか」  扉を開けずに聞いた。 「お食事のお時間で御座います。メインダイニングの方にいらして下さい」 「分かりました」  そう言えば一日目は船長を囲んでの食事会が催されると聞いていた。  片桐は寝台で眠っていた。その顔がとても楽しそうな笑みを刻んでいるのが見えたが、仕方ないので起こした。 「あ、晃彦か…。もう夕方なのだな。と言う事は食事…」

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