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第23話(蜜月編)

 程なくして出て来た彼は、何時もより体内に居る時間が長かったせいか、気だるげな様子を懸命に隠しているのが分かった。 「水…飲むだろう。それとも果汁の方が良いか」  部屋に用意されていたものを思い出して聞いた。 「水で良い。有り難う」  安楽椅子は、卓を隔てて向かい合って置かれていたが、彼は躊躇う様子も無く横に座った。心の距離が近い証拠だろうかと少し安堵する。  余程喉が渇いていたのか、彼にしては珍しく喉を仰け反らせて飲んでいる。  バスロウブの合わせ目からちらりと鎖骨が見える。慌てて目を逸らし、二杯目の水を用意する為に立ち上がった。  横に座り新しいグラスを渡す。 「有り難う。晃彦は喉、渇いてないのか」  冗談の積りで言ってみた。 「俺はお前に渇いて居る」 「今は未だ駄目だ。…だからこれで…」  未だ……と言う事はもう少し時間が経過すればいいのか…と聞こうと彼の方へ顔を向けると、彼の目蓋を閉じた顔が至近距離に有った。顔に手を添えて正面を向かされる。 部屋のほの暗い照明でも彼の顔に睫毛の影がとても綺麗だった。そう思っていると、唇が寄せられ、口を開く様に促される。黙って従うと口移しで水と氷が甘露の様に口中に広がった。  直ぐに口付けは解かれ、片桐は悪戯っぽい瞳で囁いた。 「さっきのお返しだ」  さっきというのは、自分が口移しで飲ませた事を言うのだろうか…などと考えたが言葉に出すよりも想像する事の方が楽しい様な気がして黙って彼の手を握った。静謐な時間が流れる。見詰め合い手を握っただけの時間。 「明日、何をしようか」  何となく片桐と他愛の無い話がしたくて聞いてみた。彼の視線が卓に投げ出された鍵の束に移った。 「二等や三等のデッキに行ってみたい。特等は外国人が圧倒的に多かったが、二等や三等はどうなのか興味が有る」 「そうだな…この時代に英吉利に行こうとする日本人がどの程度居るのか、またその理由は…などの、興味か」 「ああ」  彼の関心は常に平民階級に有る事に変わりはないのだと、出会った頃が懐かしく想起された。 「大学に通う為の服が有った筈だからそれに着替えてこっそり見に行こう」  英吉利でも帝大と同じく通う生徒の服装はあまり高級なものでは無いと聞いていたので、前もって用意はしてある。 「明日が楽しみだ」  片桐が微笑むと、つい釣られて唇を弛めた。 「寝室に行こう。もう眠っても良い時間だ」 「少し早い様な気がするが…」 「勿論下心は有る」  絶句した彼の顔を覗き込むと、羞恥に赤く染まった顔が有った。――今夜の目的は、彼の身体中に赤い花を散らす事だった――  オブライエンがどこを触ってもそこに自分の情痕が有れば少しは平穏で居られると思ったからだった。  頬に触れる湿った吐息で目覚めた。目を開けると間近に片桐の目を閉じた顔が有る事に気付く。まどろんでいる彼の顔は、安らかで何時もよりあどけなくさえ見える。その顔をむさぼるように見詰める。

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