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第28話(蜜月編)
「商売繁盛を祈ります」
「おおよ、そっちもな、若いからってなめられるんじゃねぇぞ」
気の良い商人は、煙草を持った手で挨拶した。
「晃彦、煙草を買おう」
唐突な言葉に驚いた。自分も彼も嗜まないのに、何故。
「煙草を勧める仕草、あれは親愛の挨拶代わりなのだ。だからこちらから煙草を差し出せば話して呉れる人が増える」
デッキですれ違った男に売店の場所を聞く。直ぐに教えて呉れた男に礼を行って、一番高い煙草とマッチを手に入れた。
それからデッキへ戻り、暇そうにしている商人に煙草を勧め、色々な話を聞いた。日本の物…特に陶磁器や浮世絵がまだ人気が高い事などを知る。
皆、英吉利で一儲けしようと思っているのかおおむね陽気で話しやすい人達だった。ただ商人は愛想の良いものと決まっているので、片桐が勧めた高価な煙草のせいの相乗効果でいつもより饒舌に話してくれたのだろう。
二等デッキを大体回ったらそろそろ昼食の時間になって居た。
「昼食を摂ってからまた来るか」
「いや、一旦戻って、正装に着替えて食事して、またこの格好でこのデッキを歩くと、嘘がばれるかもしれない」
確かにそうだ。自分達――主に話していたのは片桐だったが――相手の詮索に適当な事を答えていた。その数は20人位だろうか。全ての嘘を覚えて居なかった。
「昼食食べたいか…」
片桐が心配そうに聞いて来る。いつもと違う環境の中に居たので緊張したのだろうか、それ程空腹では無かった。
「それよりも、お前を食べたい」
揶揄気味に囁いた。片桐は、刹那の間瞳を泳がせた。おもむろに彼に腕を掴まれてつられて歩き出した。
連れて来られたのは、人気の無いデッキの隅だった。彼は辺りを見回してから、抱きついてきた。僅かに背伸びをして唇を重ねて呉れる。彼の腰に両手を回すと、昨夜の交情で敏感になったのか切なげな表情を浮かべた。そのまま背骨に向かってゆっくりと撫で上げる。唇が少しずれて切なげな吐息を漏らした。その口を逃せじと唇で覆った。辺りに人が居ないか確かめながら。
――彼のこんな顔は誰にも見せたくない――
彼の舌を味わってから唇を離す。片桐は脱力したように凭れかかって来た。幸い、人は来ない。背筋を撫でて彼の呼吸が回復するのを待った。彼も背中に手を回して呉れる。
「昼食分はこれだけで充分だ」
耳元で囁くと、小さな声が聞こえた。何を言ったか聞き取れなかったので、耳を近づけた。
「ニコライ堂でも思ったが、昼間からこういう事をすると…」
一瞬黙り込み、意を決した様に言った。
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