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第32話(蜜月編)

「誠に不躾で勝手なお願いなのですが…、警備員室に連れて行った時も大層お泣きになっておりまして…。数少ない女性に相手をするように頼んだのですが…ずっと泣き続けなのです。泣き声の合間に、『手を繋いで呉れた方に会いたい』とそれはもう悲しげに泣いています。唐突なお願いで、誠に申し訳有りませんが、一度警備員室にお出で下さる訳には…」  特等船客に向かって、船からの一方的な申し出としてはとても失礼に当る。しかし、芸備係の懇願するような表情と声が彼らの苦心を物語って居る。  しかし、片桐の事だ。出向いて行くに決まっている。そう思って居ると、片桐は意外な申し入れをした。 「今も泣いているのですか。それなら、この食堂に連れて来て貰う事は出来ないでしょうか」 「有り難い御言葉感謝致します。船長と相談をして、片桐様の御意向に沿うように致します」  深深と一礼すると、警備係は下がって行った。 「多分、あの子は食べてないだろうから、子供用の食事を用意させた方が良いな」  特等の客であり、皇室からも口添えの有った片桐の言葉だ。船長は許可するに決まっている。 「そうだな。子供用の食事を用意させよう」  給仕を呼び、子供用の食事を用意させている間もオブライエンは片桐に熱心に話しかけていた。話題は日本の文化の事や歴史の事だった。片桐も答えていたが、自分の事が気になるのだろう。 「その話は彼の方が詳しい」  そう言って、オブライエンの話をこちらに振ろうとするのだが、オブライエンは片桐にだけ話しかける。矢張りこれはオブライエンに下心が有るとしか考えられない。  片桐はミスズの件も有るのか眉間にしわを寄せ浮かない顔をして居る。 「船室はどこ」  そんな片桐の表情に頓着せずに話しかけている。片桐は律儀にも番号を教えたが付け加えるのを忘れなかった。 「晃彦と同室だ」  その刹那オブライエンの表情に落胆の色が走ったのを確かに見た。  その時、給仕係がミスズの手を引いてテェブルにやって来た。涙と鼻水は、流石に特等客室のダイニングに行くために綺麗に拭われている。  片桐の姿を認めた彼女は足取りも軽やかに近付いて来る。喜色満面の顔をして。席が一つ空いているのも都合が良かった。そこに彼女を座らせる。  オブライエンがおざなりの挨拶をし、英語で片桐に話しかけていた。 「女性が好きなのか」  きわどい言葉にも片桐はそつの無い返事をしている。それから、また自分とミスズを無視した会話が成されていたが、ミスズは片桐と会えたのが嬉しそうだった。  そんな三人を眺めて居ると奇妙な事に気付いた。片桐とオブライエンが英語で話していて、オブライエンが冗談を言うとミスズもクスリと笑うのだ。日本人の殆どが英語を解せ無いというのに…。そこにミスズの為の料理が運ばれて来た。  片桐が給仕に言った。 「お箸をお願い出来ますか」 「畏まりました」 その会話が終らない内に、ミスズは余程お腹が空いていたのだろう、ナイフとフォークを行儀良く使って食事を始めた。勿論、食べる前は手を合わせて「いただきます」と言っていたが。 「片桐、ミスズちゃんの件だが、考えが有る。俺の推測に間違いが無ければ、直ぐに親御さんは見つかる」  片桐は驚いた様に顔を見詰めた。

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