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第45話(蜜月編)

 苦戦しそうだな…と思ったが、オブライエンとの勝負に負ける訳にはいかない。もう勝負を受けてしまったのだから。  それに片桐は自分が負けるとオブライエンの物になってしまう約束だったが、彼の性格と自分に対する恋情を考えるとオブライエンの恋人に納まるとは到底思えない。  自分が負けてしまえば、彼の性格からして自分から命を絶ってしまいかねない。その事を考えると背筋に氷を当てられた様な気がする。  美鈴が疲れると、林氏に交代してもらい身体を柔軟に動かす練習をする。林氏が疲れると美鈴に代わって貰った。当然自分は休み無しだが、そんな事には構っていられなかった。   片桐が果汁を入れた大振りの水差しとグラスを3つ持って戻って来た。腕にはタオルを掛けて居る。  林親子に礼をしてから果汁を入れたグラスを渡す。きつい練習に座り込んでいた自分に近付き、グラスを手渡して呉れた。手渡す時にちらっと林親子を見、こちらを見ていない事を確認したのだろう、手渡した直後に指を絡めた。そんな些細な接触で元気を貰った様な気がした。  その後、タオルで額の汗を力加減に注意して丁寧に拭いて呉れる。 「オブライエンと廊下で会った。8日後の試合の件、承知したと言って居た。オレは晃彦を信じているから…。少し話しただけだが、彼は日本文化に興味を持ってはいるが、日本人は蔑視している。母国の植民地の多さも国の誇りだと言って居た。東洋人蔑視の典型的な人間の様だ。日本も植民地は持っているが、やはり東洋人に違いない。日本の芸術が西洋人にもてはやされているので、買い物がてら日本に来てついでに学んだと言った感じだな」  列強の仲間入りをした我が日本だが、唯一の東洋の国だ。蔑視感情が有ってもおかしくは無い。オブライエンは貴族なのだから余計に差別感情は強いのかも知れない。  そんな人間に片桐は絶対に渡せない。七日の内に何が何でもマスターしなければならないと決意を固めた。  日本に居た時は、片桐が様子が心配で毎日殆ど走って彼の屋敷に行っていたが、畏れ多くも皇后陛下の御声掛りで留学が決まってからは運動らしい運動をしていない。身体が鈍って仕舞っている。  夕食は、特等船客の人間の特権で二等の食堂で済ませた。そして夜までみっちりと林親子の稽古をつけて貰った。  片桐もその様子を真剣な表情でずっと眺めて居てくれる。時々、彼からもアドバイスを受けた。林親子は、迷子になった美鈴を保護して貰った事に余程感謝してくれて居るのか、長時間にも関わらず交代で手ほどきして呉れる。  夜八時になると、流石に疲れが溜まって来た。明日も稽古を付けて貰う約束だったので、お開きにした。  美鈴は父上が稽古をして居る間は片桐の傍に行き、何やら楽しそうに話しているのがちらりと目に入って居た。  二人して林親子に丁重に御礼を言い、船室に戻る。 「あれだけの運動をしたのだから先に浴室に入った方が良い」  片桐が至極尤もな事を言った。  そうでなくても、身体は運動のせいで熱く成って居る。 「そうするか。御風呂に入って明日に備えよう」  そう言って浴室に入り、湯船に浸かった。強張った筋肉がほぐれて行くのが心地よい。  ただ、激しい運動のせいか、身体は熱いままだった。湯加減を調節してみたが運動の熱は冷めない。

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