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第59話(蜜月編)
構えも正確で非の打ち所も無いウイリアム氏は何処でこういう剣を習ったのだろうかとの疑問がわくが、相手が語らない以上は聞くべきでは無いと思った。片桐も同じ様に考えているらしい。
片桐は律儀にも練習を欠かさず見に来て、その後自分の習った剣道の指南をして呉れる。
「一度、竹刀を交えたいものだ…」
そう思ったが、フェニシングと違って剣道には様々な道具が必要だ。帰国してからお手合わせを願いたいと思った。ただ、習って来た流派が微妙に違うので、どちらが強いかは分からないが彼も強い部類に入るだろう。いつになるかは全く分からないが、是非一度立ち会いたいと思わせる強さを持って居る。
7日目、特等室の朝食の時間までうっかり二人して寝過ごしてしまい、慌てて二等の船室に向かって居ると、オブライエンに遭遇してしまった。
「お早う、二人して全く見ないが、どこに行っているんだい」
片桐の瞳を直視してそう声をかけてきた。
「いえ、別に…。ところで、明日が試合の日ですが、練習はなさっておいでですか」
片桐が動ぜずに上手にはぐらかして逆に聞き返す。
「フェニシングの練習なんてしなくとも、勝てる自信はあるからね」
あくまでも自分を無視して片桐だけを見詰めて居た。
その態度には些か業腹だったが、要は試合に勝てば良いことなので黙って見送った。
片桐が通りすがった顔見知りの特等船客の男性に聞いて居る。
「お早うございます。訳が有って特等のダイニングには、行って居ませんが…オブライエン氏はいつも特等船室で何をされているかご存知ですか」
「ああ、知っている。何というか、いつも暇そうにあちこちで会う事が多いな。夜は大抵喫煙室で葉巻を吸いながらブランデーを飲んでいるが…」
何故そんな質問をされるか分からないと言った表情だったが、自分と片桐は皇后陛下御声掛りの留学生として特等船室の日本人は皆親切なので答えて呉れる。
指南を仰いで居る関係上、慌てて鍵の束を取り出し、二等船客の練習場に赴く。
ふと、横を窺うと片桐は、ほんのりと唇を弛め微笑している。
彼の笑いの意味は分かった。オブライエンが練習して居ない事で、自分の勝率が上がった事を考えているのに違いない。
練習の成果を十全に出そうと、残りの練習もおさおさ怠らないようにしようと決意した。
「絶対、勝つから、お前は何も心配しなくて良い」
耳元で囁く。
「ああ、信じている」
同じ様に耳元で囁き返して呉れた。彼の耳朶に触れ、危うい情動を呼び起こす。しかし、今は其れに構っている暇は無い事も理性では分かる。
「必ず勝つから、その暁には…」
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