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第75話(蜜月編)

「フィニシングの礼も兼ねて、特等に部屋変えして貰う様に船長に口添えしたのだ。彼らも、君たちと話したがっていたからな」  確かに英国人上流社会でこの人有りと有名な彼の言う事を無碍に断れる日本人は居ないだろう。その人に偶然にも気に入られた自分達は、英吉利に行っても相談先が一つ増えた事になる。  美鈴は心の底から嬉しそうな顔をして、片桐に挨拶をした後で、自分に向かって言った。 「勝ったと聞いたわ。おめでとう」  隣で林氏も満足げに笑っている。  椅子から立ち上がり、深深と頭を下げた。 「特訓の賜物です。感謝致します。これからも宜しければ、ご指南をお願いしたいのですが」  その様子をウイリアム侯爵が満足そうに見ているのが分かった。 「どう致しまして。これからも指南しても良いのですか」 「ええ、片桐共々お教え戴ければと思って居ります」  会話を続けているとウイリアム侯爵が片桐にこっそりと何かを囁いている姿が目に入った。 「御蔭様で二等の料金で特等に移れましたし、指南のし甲斐があります。喜んで」 「こちらに移れたのは、ウイリアム侯爵の計らいですので、私がしたわけでは…」 「いえいえ、これも日本語で言う何かの縁でしょう。これからも色々と宜しくお願い致します。お二方やウイリアム侯爵とお近づきになれた事はこちらにとって誠に光栄です」  彼らとの船中生活は充実したものになりそうだ。  そして、ウイリアム侯爵の御蔭で英吉利に行ってもマナァなどで恥をかくことなく過ごせるだろう。  先ほど見た侯爵と片桐との会話が気に成ったが、林親子と別れてテーブルに着き昼食を再開した。  ウイリアム侯爵は日本での華族社会にいたく興味を示した。知る限りの事を述べていると、昼食が終る。  ウイリアム侯爵に挨拶をし、林親子のテーブルでお茶を飲んでから二人して船室に戻る。  片桐は穏やかな微笑を浮かべて居る。その隣にずっと居る事が出来る事を神にでも祈りたい気持ちになる。  鍵当番は片桐だったので、鍵を開ける片桐の細い指先に指先を重ねる。他愛の無い接触もまた良いものだ。  船室に入って、彼の細い腰を引き寄せ口付けをする。二人して空気を分け合う事がこの上無く貴重な時間に思える。 「さっき、ウイリアム侯爵はお前に何を」  名残惜しげに唇を離して言うと、片桐は満足そうな吐息を漏らして言った。

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