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第79話(ロンドン編)
倫敦は思っていた以上に寒い。倫敦塔も風が入ってくる。
甲冑が置いてある区画から離れる時も、外套のポケットの中に片桐の手を入れて暖めていた。全く人の居ない所で、反対側の手を握った。思っていた通り、冷たかったので息を吹きかけて暖める。気持ち良さそうに微笑んでいた片桐は周囲を見回すと、熱い口付けを送ってくれた。心ごとかんじがらめにされるような、とろけるような接吻だった。
倫敦は、日本に比べればとても寒く、空も曇っていることが多く、しかも倫敦名物とでも言える様な霧がかかった日が多い。街並みは大英帝国の首都らしく素晴らしく綺麗だったが、雰囲気は天候の為か陰鬱だ。
しかし、室内は暖炉が有り、日差しを取り入れる為か窓の硝子は大きいのでそんなに寒くはない。東京の屋敷の日本間よりは暖かい。暖炉の上には先日写真館に行って記念撮影をしてもらった二人の写真を飾ってある。何かの時に日本にも送ろうと余分に撮ってもらった。片桐が椅子に座り、その傍らに立った自分。そういった写真を希望したら技師に「座って居るお客様の肩に手を置いて下さい」と言われた。それが普通なのだそうだ。自分達が普通の友人といった関係ではないので余計に恥ずかしかったが、出来上がった写真を見ると二人とも幸せそうな笑顔になっている事に気付き、どちらからともなく微笑みあったことがある。
今日は幸いなことに晴れていたので、図書館の硝子窓の近くで待ち合わせの時間潰しを兼ねてレポートを作成していた。
片桐とは学部が違うので、同じ授業に成らない方が多い。出来るだけ一緒に帰宅する為に、その日の授業が早く終った方が図書館で待つという決まりを作っていた。
集中してペンを走らせていると、後ろから肩をそっと叩かれた。我に返って振り向くと片桐が微笑んでいた。弱い太陽の光を背に浴びて彼のさらりとした髪の毛が茶色に光って居る。授業は終わったらしい。
そそくさと荷物を鞄に仕舞った。
倫敦での生活もようやく慣れてきた。英語は早口で捲くし立てられると分からない事も有ったが、殆ど一緒に行動している片桐が訳して刳れて居るので不自由はあまりなかった。講義などは、ゆっくりとしたスピードで教授が話すので随分助かっている。
倫敦大学から下宿――といってもかつては大商人の屋敷だった――に二人して帰る。どんなことがあったのかとか、どんな授業だったのかを思う存分日本語で話せるのはやはり楽しい。相手が最愛の片桐なので尚更だった。
下宿に着くと、郵便物置き場――といっても棚を区切っただけのものだが――を見ていた片桐が嬉しそうな声を上げた。
「晃彦、日本からの船便が届いたようだぞ」
彼の手の上には十通以上封書が重ねられていた。祖国が殊の外恋しいという訳でもなかったが、矢張り懐かしい人達の消息が分かるのは嬉しい事だった。
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