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一、虎が雨(とらがあめ)五
起き上がると、うまく立てなくてずるずると後ろへ下がった。
「兄の名を名乗って、俺の家の中をよく知って、喋るなって脅す人を怖がるな? 虫が良すぎます。帰ってください」
「氷雨さん……」
「別に昨日のお菓子をくれなかったから怒ってるわけではありませんからね!」
「お菓子?」
悲痛な顔をしていたと思ったら、今度は急に目を点にした。しまった。
これは少し本音が出てしまった。
「好物の和菓子を受け取ってくれたら、もう脅しませんけど、どうしますか?」
ぷっと拳を口に当てて彼は笑う。自分が子供扱いされたようで近くにあった座布団を投げた。
「か、帰ってください!」
「和菓子、取ってきますね」
「帰ってくださいってば!」
腐った縁側を長い脚で大きく踏み越えると、また抜け穴から出て行ってしまった。縁側の戸締りをしようとして立ち上がると、ズキズキと右足が痛むのが分かった。
「氷雨さん、朝食まだでしょ?」
ついでにサンドイッチが沢山入ったスーパーの袋も手にぶら下げてきた。
「大丈夫。俺が全てするんで座ってて下さい」
足が痛んだことまではばれなかったので、これ以上抵抗しない方が吉なのかと曖昧に頷く。
「あ、段ボール」
立ち上がった時、やはり鈍い痛みが右足に走ったけれど、日常に支障はなさそうだったのでよろけながら立ち上がり、裏口へ向かう。裏口には、業者に頼んで段ボール買いしている書道の道具の物置があり道具を取り出した段ボールも一定以上溜まってから橋本さんが出してくれている。
良かった。まだいっぱい溜まっている。
三つほど持って縁側に戻ると、穴が開いた上に段ボールを乗せる。
「何をしてるんですか?」
「穴が開いたから段ボールで補給。うち、貧乏なので縁側なんて直せる財力ないので」
段ボール三つ重ねれば、子供ぐらいなら通れるかな。
「……あのさ、腐ってる板の上に段ボールなんて応急処置にもならねーよ。子供は乱暴に縁側歩くんだろうし、ってか子どもが通るなら危ねーよ」
「そんな」
それならば早急に修理しなければいけない。いくらぐらいかかるのだろうか。下手したらボロのこの家ごと建て替えた方がいいぐらいではないのかな。
「ったく。氷雨さんって綺麗な顔のくせに抜けてるってか子供っぽすぎってか頼りねーのな」
ぼろくそに言われて、俯くしかできない。
なんせ、父親と同じぐらい一緒に居る橋本さんからも『筆より重いモノをもつな』と言われるぐらいだ。
おまけに兄の名前で目の前に現れたこの怪しい男に助けられてしまう始末。
「氷雨さん?」
顔を覗きこまれて慌てて横を向く。すると回り込まれて顔を覗かれてしまう。
「俺の前で顔を背けないでくださいよ」
拗ねたように言うその言葉は、一瞬だけ乱暴になった言葉とは裏腹に優しく柔らかい。
「足が痛い?」
「いいえ。貴方のズケズケと攻撃してくる言葉が痛いだけです」
首を横に振って覗きこむ男の顔を見た。その顔は、眉をひそめ俺を本当に心配してくれているような、優しい表情をしていた。
「氷雨さんは大人だから笑って受け止めてくれると思ってた。昔はそうだったのに」
「昔って、いつの話ですか」
尋ねると、しまったと言わんばかりに口を手で隠した。
「やっぱり出て行って下さい」
久しく食べていなかった惷月堂に心を奪われた自分と決別して、男をしっかり見据える。
「何一つ、真実を喋らない貴方を俺は何一つ信用しない。出て行って下さい」
「氷雨さん」
「手当はありがとうございました。ですが、俺は今、ひっそり穏やかに暮らしています。兄の名を使って嫌がらせするのであれば、二度と話しかけないでください」
言いながらヒートアップしてしまい、血圧が上がったのか足の痛みがズキズキと大きくなった。
「まだ色々言えないことが多くて、それは謝罪します。昔から言葉を選ばないこの性格も。でも、――貴方が嘘をつけない素直な人だから騙してるだけで、事件が解決すれば全部話すから」
背けた俺の顔を、今度は両手で挟む込むように自分の方へ向けた。逃がさない。そんな声が聞こえてきそうな瞳で俺を捉える。
「だからそんな可愛い顔で誘わないでよ」
さっきの愁傷な顔は何処へやら。したり顔で笑ってる。
「帰れって言ってるのに、誘ってなんていません!」
前言撤回はしなくてよかった。変だ。このお隣さん
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