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二、驟雨(しゅうう) 一
もぞもぞと布団から顔を出したのは夕方になってからだった。炊き込みご飯を温めようと電子レンジを開けたら、昨日温めたまま熱くて放置してしまっていたお味噌汁が出てきた。
……忘れてた。飲めるのかな?
クンクン嗅いでも分からず首を傾げる。
まあもう一回温めたら殺菌できるか。
もう一度温め、新聞を取りに玄関に向かうと、――今朝のバトル後のまま、廊下に塩が散りばめられ、惷月堂の紙袋が隅っこに置かれたままだった。裸足で塩を踏むと以外に痛い。
「……」
新聞を取るついでに、惷月堂の紙袋を返しに行こう。目の毒だから。
肌寒いので羽織物を肩にかけ、そろそろと玄関を開けて、隣の家の玄関に紙袋を置いておく。
本の数十歩なのに歩いただけで足がズキズキ痛みだした。
やだなー。湿布貼ったほうが良いのかな。
「あれ、氷雨さん」
「うわ……」
最悪のタイミングで、彼が帰ってきてしまっていた。最悪。
「露骨に嫌な顔しないでください」
「目の毒なので、お返しに参りました」
「目の毒って……ぷっ 食べていいって言ってるのに」
玄関に置かれた紙袋を見て、彼は明らかに馬鹿にしたように笑う。
「結構ですので。ってか、ソレなんですか?」
嫌な予感がしてついつい聞いてしまったけど、彼は大きなベニヤ板を二枚持っている。工具セットも左手にある。
「勿論、今から氷雨さんの家に行って修理しようと思って」
「しゅ」
信じられない。朝、あんな破廉恥なことをしておきながら、ぬけぬけと俺の家に再び上がり込もうというのか。
「すみませんが、貴方を家に入れる気はありません」
「ぷぷ。生娘じゃあるまいし、別にいいじゃないっすか」
埒が明かないと、新聞紙を丸めて武器にしつつ、じりじりと家の方へ逃げる。
「逃がしませんよ。何年経ったと思ってるんですか」
彼の大きな手が伸びてきて、後ろへ身を交わすが咄嗟に動いたせいで立ちくらみがして尻もちをつく。おまけに足も痛い。
「大丈夫ですかっ」
片手で俺を立たせてくれると、腰に手を回した。
「ちょっ」
「顔色も悪いし」
さっきまで眠ってたからです。
「繊細なんですね、氷雨さんって」
朝から何も食べてないから立ちくらみがしただけです。
「こんなに腰だって折れてしまいそうに細くて……」
「やっ せ、セクハラです」
背中を大きな手が上下に摩られて、びくびくと反射的に弓なる。
「おまけに、――敏感」
「は、離してください」
力を込めて押しやっても、大柄な男はびくともしない。
「だ、誰かっ」
大声を出して近所の人に助けを請おうとしたら、また肩に担がれてしまった。
「大声出したら――その唇塞ぎますから」
「なんで、お、おろしてください、へ、変態っ」
相手を咎める言葉のボキャブラリーが乏しすぎて、子どもが連行されているのを抵抗しているみたいになってしまった。
「大丈夫です。氷雨さんが俺を拒絶しなければ何もしません」
「……嘘」
「疑われると、期待に応えたくなりますけどね」
そのまま強引にまた家へ上がり込まれてしまった。兄の名前を名のる怪しい人なのに、どうして俺はこうも簡単に流されてしまうんだろう。
「何の音?」
居間に俺を下ろすと、電子レンジから終わったぞーっと電子音がした。
(電子レンジでお味噌汁を温めたと言えばまた馬鹿にされるかもしれない)
「さあ。それより、縁側を直してくださるのは結構ですが終わったら帰ってくださいね。俺はまだ仕事も残ってるので」
仕事なんて今日は何もしておらず、ただお腹がすいているだけなのだけど。
はっきりと冷たく突き放しておかなければ、下手したら毎日家に来そうな予感がした。
「そんな冷たいこと言わないでくださいよ。縁側だけじゃなくて、屋根も雨漏りしえるみたいだし。どーせ裏口の鍵の調子も悪いままだろうし。俺で良ければ、家の修繕してさしあげますよ」
「なんで裏口の鍵のことまで……」
裏の鍵はサビついていて重いだけでなく、右に二回回すと鍵が開いてしまうんだ。
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