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四、細氷 二
「君……警察なの?」
「違う。これは警察が手こずってたから手伝っただけ。通りかかった一般人だよ」
あっさりと否定され、しかもその理由に納得がいく。驚いたけど、俺んやくざ紛いのことをしている彼が警察なわけないか。
「おい、桐生! さっさと手伝え」
きりゅう?
「もう捕まえたんなら良いですよね。一般人は此処で離れます」
早口で捲し立てると、彼は駅の方へ駆けだした。
「おい、仕事中だろうが! 刑事として初任務だぞ」
「刑事!?」
思わず今自分が、下着を穿いていないことを忘れて大きく動揺してしまった。
彼ではなく、酔っ払いを押さえつけた警察官の方へ向き直る。
「すいません、向こうの彼、名前はなんて言うんでしょうか!」
「へ? 桐生の事ですか? 桐生が何か」
よく見れば、警察官は駅前の交番の人だ。たまに自転車でパトロールしているのを見たことがある。
「この彼、俺に偽名を使ってるんです。隣に越してきたのに、怪しいからヤクザじゃないかって思いまして」
「ぷっ。桐生がヤクザが。まあ、あながち間違いではないか」
「やはり!?」
「高山さん、勘弁して下さい」
Uターンして彼は戻ってくると焦っている。
それほど急いで戻ってくるほど、質問されたくないことがあるのだろうか。
「逃げた罰だ。それに此方の方は桜雨の書道教室の先生じゃないか。怪しい人ではない」
「え、俺の事を知ってるんですか……」
引きこもりの自分の名前を言い当てられて思わず動揺してしまった。
でも俺よりも、彼の方が口に手を当てて顔を背けている。
「お兄さんの事件の時にね、私も少しだけあの事件は携わったから」
「事件……? 兄の事故は事件なんですか?」
呆然とする俺に、高山さんは笑顔を崩さないまま交番の方へ後ずさる。
「桐生。交番で待ってるぞ」
「……分かりました」
不機嫌になった彼。兄の事件。
何が何だかわからなかったけれど、とりあえず俺は彼のポケットに手を突っ込んだ。
「ひ、氷雨さん!?」
「お、これですね」
ポケットから紐で結びつけられた一冊の警察手帳を取り出した。そして開けると、無表情の彼の写真と共に名前が書かれている。
『桐生 喜一』
彼の名前の上に『巡査』と書いているのは気のせいだろう。うん。気のせいだ。
思いっきり手帳を放り投げようとして、紐で括られた彼の足も上へ上がる。
「やめて。手帳無くすと出世どころか退職させられるってば」
「でもこれ、コスプレですよね」
まだ信じられないので、彼の頬を摘まんでみたけれど小さく『痛い』という声が返ってきただけだ。
口をきゅっと結んで不機嫌になっているけれど俺の方が不機嫌になりたい。
「信じられない……。警察官である立場の君が、俺に偽名を使うなんて」
「で?」
彼は乱れたスーツを整え、ネクタイを掴んで静かに言う。
「……俺の名前に見覚えはありませんか?」
「見覚え……」
「俺が戻ってくるまでに思い出せなかったら――許さないから」
「え?」
傷ついたような怒ったような、複雑な表情で彼は交番に入っていくと酔っ払いを連れ出し、パトカーの中へ押し込んだ。中には更に年配の警察官が誰かに連絡を取っていた。
「連続で続いていた万引きの現行犯逮捕となればお手柄だな」
「おまわりさん……」
「桐生みたいに高卒の24歳で刑事になったは、私の知っている中で最速ですね」
「……そうなんですか。って24歳!?」
年下だと思っていたけれど、五歳も年が離れていたのか。
「あの、……昨日、彼は喧嘩してませんでしたか?」
その言葉に、おまわりさんは口を噤んだ。
「唇の端が切れてましたよね?」
「今は特別捜査に関わっているので、詳しくは言えません。ですが、桜雨さんはお変わりないですか?」
「俺は大丈夫です。壊れそうな家で息をひそめて生活していますよ」
兄の事故の後もこうして気にして貰えるのは嬉しい。
「何か少しでもおかしいな事があれば、桐生に相談してください。勿論私でも構いませんがね」
優しくそう言われると、思わず俺もほころんでしまう。人混みが嫌いだからと嫌悪していた駅で、思いがけない収穫だった。
……驚きすぎて下着は買い忘れてしまったけど。
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