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六、怪雨(あやしあめ) 一

 清々しい朝。塀の崩れを隠すために置かれた花に、朝露が浮かんでいる。  その朝露を見ていたら、水羊羹が食べたくなったのは内緒にしておこう。今はそんな贅沢はできないのだから。 「おーし。ここだ。ここ」 「……?」  家の門の前で、数人の足音と話声がする。新聞配達のおじさんがまだ俺の家の前を通過したばかりの、こんな朝早くになぜ、そんな声がするのだろう。 「失礼するぞ」 「ひ、ひいっ」  家の門をくぐったのは、額に大きな傷のある、タヌキみたいな体型のおじさんだった。 「お、早起きじゃねーか。関心関心」 「だ、だ――――っ」  人は、恐怖と対面すると声が出せなくなってしまうらしい。俺が寝ていると思ってこんな朝早くやってきた、柄の悪い男たち。  これって今度こそ本当にやくざではないだろうか。 「なんだい、綺麗な顔をそんな間抜けに歪ませて」 「で、で」  彼になら強気で出て行けと言えたのに、この人たちは怖すぎる。 「喜一から何も聞いてないのかい? 今日から瓦の修理と庭の増築を担当することになったんだが」  知らないと首を振ると、睨まれた。どうしよう。橋本さんが来るにはまだ早い時間だし。  彼から何も聞いてない、けど。けど、この人、どこかで見たことがあるような。 「……昨日、俺の家の裏口で彼と話していた人ですか?」  俺の家を彼と物色して、売り飛ばす話をしているのかと疑った人のような?  名前と顔を覚えない自分だから自信はないけど、こんな個性的な人はそうそういないはずだ。 「ああ。そうだ。因みにあんたの父親の優雨とも馬はあわなかったが旧知だよ」 「父と?」  父の名前を出されて、ようやく緊張していた身体がら解放された。 「ああ。動き回る俺にしてみりゃあ、大人しく勉強ばっかの優雨は根本的に何も意見が合いもしねえ」  大きく嘆息するそのおじさんを見て、怖いけど緊張は解けた。 「あの、彼からは聞いてなかったのですが、橋本さんから聞いていた業者さんでしょうか?」 「ああ!? あー、橋本ってあの、何を考えてるのか分からん優男か。まああいつに話がいってるなら作業はしていいよな。さっさと始めろい」 「え、あの大工さん」 「岸辺と呼んどくれ。おやっさんでもいいがな」 「岸辺さん、その、――修理費なんですが」  俺が言い終わらないうちに、縁側にドカッと座った。 「金なら隣の刑事から前払いでもらってるから、お坊ちゃんが気にすることはない」 「おぼっちゃ、いや、前払い?」  色々と突っ込みたくなることばかりだったけれど、岸辺さんは豪快に空を見上げて笑った。 「はっ。こんなぽやんとした野郎に、喜一はのぼせて熱を入れまくってるんか!」 「や、ちょっと。誤解です。あの人は悪い奴で」  何を言っても墓穴なのか、さらに岸辺さんは笑いだした。 「そりゃあ優雨やお前さんみたいな、霞を食べて生きてそうな奴らには、喜一は悪党だろうな」 「霞なんて食べてません!」  俺をどんな人だと思っているのだろうか。家事もできない書道だけ何とか人並み以上にできている、怠け者だというのに。 「さあさあ、庭には近寄らないでくだせえよ。それと裏口と、この縁側も酷い有様だな」 「あの、今日は午後から書道教室もありますので」 「りょーかいりょーかい。さ、行った行った!」 「ちょ、あのっ……」  ダメだ。この人、俺の事子供扱いしてる。  修理するにももっと怖くない人とか居ただろうに、なんで彼は誤解されるような見た目の人ばかり選ぶんだ。  でも、岸辺さんが豪快で人情に熱そうな人柄なのは良く分かった。橋本さんも知り合いならば、後はもう俺は余り関与しないでお任せしよう。 「おーい、お坊ちゃん。シーサーの柄が入ったパンツ達、閉まっといてくれよ。埃で汚れるぞ」 「わ、はーい」  別にパンツの柄まで大声で言うことないのに。パタパタと裏口まで走ると、足がまた少し痛んだ気がした。  まだ少し腫れているらしい。無理しないようにしなくては。

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