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六、怪雨(あやしあめ) 三

 せっかく瓦の修復をしてくれていたのに、ビニールシートを敷いて一端中止になった。  最近、雨がよく降るのは梅雨だからなのか、――彼が来てからなのか。  雨まで彼のせいにしてしまいたい自分がいるらしい。正解は梅雨だからなのに。  地面に突き刺さる、柔らかい格子のような雨が俺の周りに降りかかる。  雨に濡れた地面の匂いが、部屋中に充満するころ、橋本さんが大きな溜息を吐いた。 「すいません。ぼーっとしてないで土を混ぜるの手伝ってくれませんか」 「え、あっ」 「ひさめ、さぼるなよ」 「ひさめは花を植えたことねえんだがら」 「ちゃんと俺たちのさぽーとしろよー」  子どもたちは傘をさす子と混ぜる子で分担して花を植えようとしている。  ついつい呆けてしまっていた。 「ごめんね。よーし張り切るぞー!」  書道教室が終わり、皆でおやつを食べていた時に、橋本さんが皆で花を植えようと言ってくれた。  今の小学生は、学校で花や野菜を育てる食育に力を入れているらしく、俺以外は菜園経験者だった。  花の種の中に野菜の種もあったから、少しでも食費が浮くためなら俺も頑張らねば。  土間にブルーシートを敷き、その上で土と肥料を皆で混ぜていた。  すると、男の子数人が雨の中、庭を掘り起こしだした。 「何してるの?」 「ミミズ探してる。居た方が土の状態がよくなるんだぜ」 「み、ミミズ……」  あの細長い紐がくねくねと踊るような動きを見せる物体……。 「氷雨さん!」  ふらついた俺を、橋本さんが支えてくれた。 「あのね、美味しい野菜には美味しい土だよ」 「がはは、その通りだな!」  瓦の代わりに急遽、裏口のドアノブを直してくれていた岸辺さんが豪快に笑う。 「別に怖いわけではありま、ぎゃー!」  ミミズを持って俺の方へ走ってくる子どもたちに驚いて急いで逃げたら、また転んでしまった。 「いたたっ」 「おいおい、もう家の中もガタが来てるぞ。その畳、浮いてるじゃねえか」 「……本当だ」  数日前も、俺はここで扱けて彼に下着を穿いていない姿を見せてしまっていた。  ……いや、なんでもない。数日前に此処で何があったのか、雨が洗い流して俺は忘れた。  でも、そうか…。畳の境目がちょっと浮かんでるんだ。 「素人が畳を一度上げたんじゃねえかな。中にゴミでも挟んでんじゃねーか」 「じゃあ畳も後で見てください――」  と言いつつも、既に瓦、庭、裏口と頼んでいる。  彼が払ったとは言うが、俺の家で彼に浪費させるわけにもいかない。  一括は無理でも返さなければ、ということは畳は暫く待ってもらおう。 「ってか、坊ちゃん、足引きずってねえか?」 「はい。実は先週、縁側を踏み壊しまして……」 「ああ、擦ってはれたのか。じゃあ、こっちは?」 「いっ!」  足首を急に握られて、ズッキーンと骨が割れそうな痛みが俺を支配した。  口を両手で抑えたがもう遅い。橋本さんも彼も眉を吊り上げた。  ばれてしまったか。 「やっぱな。これ、捻挫がヒビか入ってる。腫れてるだろ。何をしてるんだ」 「腫れてますか? 確かに時々痛みましたけど……」 「おやおや、病院ですね。では車の手配でもしましょうか」 「や、今は土を耕してますし」  役に立っていねえだろと岸辺さんにバッサリ切られた。  まあ、そうだけど……。  彼がさっき、家から出るなって言ったばかりなのに、なんてタイミングが悪いんだろう。  彼の言葉なんて気にするつもりはないけど、何をされるかも全然見当がつかない。  手で直接触ったアレ……より酷いことをされる想像がつかない。 「車なら、俺が出してやる。保険証持ってさっさと行くぜ」  岸辺さんが仕事の分担を部下に指示し、俺の腕を肩に乗せて支えながら歩かせてくれた。  橋本さんは、生徒を駅まで送ってから家に残って片付けをしてくれるらしい。  俺はトラックの助手席に座ると、岸部さんがまじまじと俺の顔を覗き込んでくる。 「どうしました?」 「いや、トラックの助手席に似合わん綺麗な顔だなぁと」 「あはは……喜ぶべきか悩みますね」 「顔に見惚れて、足の腫れに気づかなかったなら、惚れた男失格だな」  誰の事か分からないので、俺は口を噤む。ミラーや窓には雨が降り、視界を遮る。  ワイパーが一時的に視界を回復させても直ぐに雨が俺の視界を隠す。  なので、俺は考えるのを止めたんだ。  ただーー。 「彼は俺に何か隠してるんですよね」 「そりゃあ美人には話せない様な疚しい事はあげたらキリがねぇよ」 「そうでしょうか」 「初恋のあんたが喜一を何も知らないのは、同情しちまうしな」

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