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六、怪雨(あやしあめ) 九

「机と椅子、ありましたよ。下ろしていいっすか?」 「お願いしまっ……すっ」  くそう。自分の正直な体に嫌気がする。氷雨さんの漏らす艶めかしい声に下半身がうずうずしてしまう。 「よーし。大分ほぐれてきたな。職業柄、肩コリ等は仕方ねえだろうが、定期的に整骨院ぐらい行っとけ。俺のマッサージは素人が齧った程度だからな」 「はい。あ、でもそんな贅沢できないです、でも癖になりそう」 ……俺、この事件が解決したら、整体師になろうかな。  そんな考えが脳裏を過るほど、氷雨さんの顔がうっとりしてる。  絶対感度良い。今日改めて分かった。 「仕事も暫くは椅子に座ってしとけ。で、腫れが引かない場合はちゃんと病院へ行くことだな。無理した方が医療費が高くなると思え」 「はい。ありがとうございます。あの診察料は」 「いらん」 「そんな、でも」 「さっさと治しとけ」  テキパキと帰り支度すると、辰男さんは突風のごとく早く帰っていってしまった。  俺と氷雨さんを残して。マッサージで乱れた着物を整えながら、氷雨さんは俺を見る。 「……いつまで居るつもりですか」 「俺で良ければマッサージしてあげましょうか」 「玄関は向こうですよ」  きっぱりと無視された揚句、青筋立ててキレられた。  まあ、仕方ねえけど。  婆さんの肩と揉んでたから、結構マッサージは上手なんだけど。  今言っても厭らしい意味でしか取れないだろうから我慢するか。 本当に厭らしい意味でしかマッサージしないし。  あ――――。くっそ。 さっきのあれだけじゃ、全然全く、俺のムラムラした下半身は発散できてない! 「戸締りは俺がしておくし、これから朝ご飯も届ける。足の怪我に気付かなかった詫びだ」  が、ムラムラを顔に出さないように、クールにそう言ってみせた。  ファスナーあたりに視線を落とされたら一発で分かる様な、ガキの見栄だ。  だが、俺に興味のない氷雨さんならきっと気付かない。少しだけ寂しいけれど、今は我慢。 「結構です。それに朝はパンぐらい――いっ」  立ち上がろうとした氷雨さんが、足の痛みでバランスを崩した。 Side:桜雨 氷雨 「危ないっ」  すぐに彼の腕が伸びて、俺を後ろから受け止めてくれた。俺は彼を下敷きにする形で座りこんだ。  お尻から倒れたので、足に負担もない。お尻も彼を下敷きにしたので問題ない。  それまでは良かった。  問題は、ぐりっと押し付けられた堅いものだった。 「ひ――っ」 「大丈夫?」 「あ、あたって」 「ん?」  当たってる、とは言えずに足に負担をかけないように身体を揺らしながら立ち上がろうとした。  するとグリグリと自分から押し付けてしまった。 「うわっ」  流石に気付いたのか、彼も声を上げる。が、なぜか腰を捕まえられた。  その、下半身でどんどん堅くなる部分と言えば、男の俺と一緒の部分だよね? 「ちょ、押し付けないで、氷雨さん」 「おおおおお、押し付けてない! 押しつけたくない!」  前に倒れるように離れようとしたら、ぐっとお腹を引き寄せられた。 「ちょっ」 「仕方ねーじゃん。氷雨さんのあんな姿見せられて、しかも痛いのも気持ちよさそうだし。アンタ本当に童貞なの?」 「どっど! さっきから、セクハラ過ぎます!」  30歳目前の男である俺に何を言うかと思えば……何を考えているんでしょうか。  それよりも、どんどん当てられた堅いモノの熱がお尻に伝わってくるんですけど。  身体中がぞわぞわして気持ち悪い。 「氷雨さん、俺の事信用してなくても、気持ちだけは信じてて。男の氷雨さんに俺、すっごく反応してるんだから」 「……ひっ」  腰を押し付けられた。服を着ているのに――後ろから無理やり突かれた気分で、下半身がじわりと熱を帯びてくる。 「もっとアンタのその可愛い声が聞きたい。啼いても良いけど――泣かせたくない」  ないてもいいけど、なかせたくない?  結局どっちなのか分からないけど、お腹に回されていた手を両方思いっきり引っ掻く。 「雨に打たれたら、腫れた下半身が冷えると思いますよ」 「いってーし、ひでーしっ」 「言葉使いが子どもみたいですが、大丈夫ですか?」  クスクスと笑うと、バツが悪そうに髪を掻きあげていた。こんな変な事をしなければ、仕事のお手伝いぐらいしてもらえたら本当は助かるのだけれど、彼にしてみれば反対なのだろう。  俺にいやらしい事をしたいから親切にしている。  何故だか、彼の堅くなった下半身を見ていたらそう思った。  それは少しだけ、胸を締め付けさせた。  けれどマッサージで体中痛くなっていた俺には、――何も理由は分からなかった。 「帰りますけど、良いですか。絶対に一人で出歩かないでください。貴方が此処から出なければ、問題がないのですから」  彼はそう言って、また俺たちの関係を振りだしに戻す。  埋まらない距離。それは丁度、雨の格子分の距離。  朝まで降った雨は、俺たちの関係を一ミリも動かそうとはしなかった。

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