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七、甘雨(かんう) 五
「元カレ……」
その言葉に、目を丸くしてしまった。
いや、そうか。確かに彼は見た目は悪くないし、そんな話があってもおかしくない。
逆に俺みたいにこの年で、女性と経験がない方がおかしい。
「そんな若い子に手を出すなんて、君って」
「誤解だ! ってか、俺も若いだろ」
「えっと」
確かにそうなのだけど、なんでこんなに自分でも驚いてしまうんだろう。
「ってかお前が勝手に彼女面してただけだろ、どういうつもりだ!てめー、20歳って嘘まで吐いて」
「嘘?」
「大学卒業してから、白華女学院通い直してるんだよ。花嫁修業で」
不機嫌な喜一君と、同じく不機嫌そうに身体を震わせている雛菊さん。
後ろに目をやれば、年齢については知っていたのか扇子を隠す華樹院さん。
お見合いの場は、混沌した重い雰囲気に変わってしまっていた。
「てか、こいつ彼女じゃないし。誤解すんなよ、氷雨さん。俺は……」
彼女を押しのけて俺の方に来ようとするが、彼女が阻んだ。
「付き合ってたのは事実だもん。私と同じ大学に入れる能力がありながら、喧嘩してまで刑事になってさ。高卒なんて格好悪い!」
「彼女面すんな」
「彼女だった!」
「違うだろ。俺が好きなのはお前じゃねえし」
「ちょっとっ」
雛菊さんを付き離す冷たい言葉に、思わず彼の腕を掴む。
さっきから、彼は雛菊さんへの態度があまりにも酷過ぎた。
「う、うわーん!」
「泣けばいいってもんじゃねえ」
「いい加減にして下さい!」
パコーンと良い音がしたのは、振り回してしまった俺の松葉杖が彼の頭にヒットしたからだった。
「女性に恥をかかせるのは、子どもがすることですよ。謝りなさい」
「氷雨さんっ」
彼はしばらく苦虫を噛み潰し、噛みつぶし、噛みつぶしまくり、苦い顔をしながら俺の松葉杖が当たった頭を押さえた。
「家が隣だったんだよ。で、高校まで一緒。俺はずっと好きだった人が居たから、こいつが彼女面して他の女を牽制してくれるのは楽だっただけで告白される度に、俺はお前が好きじゃないって言ってたはずだ」
「そこまで言わなくてもいいじゃない。だったら腕組んだりお弁当作った時ももっと抵抗すればよかったじゃない。酷い!」
「そうだどそうだ、酷い酷い」
「は、橋本さんっ」
彼女の声色を真似して援護射撃(いや面白がっている?)をしたら、雛菊さんは嗚咽をあげるぐらい泣き出してしまった。
「あの、泣かないで?」
奥様方に用意してもらっていたハンカチを差し出すと、彼女は思い切り地面へ叩きつけた。
「なによ!元凶は貴方じゃない。そんな綺麗な顔して酷い。結婚して。私と結婚して。そしたら、喜一くんだって悔しがるわ」
「お前、氷雨さんを利用しようとしたのか」
「元彼には関係ない!」
修羅場に巻き込まれたかと思ったら、修羅場のど真ん中に立たされてしまった。
彼女は、彼の俺への思いにも気付いているんだ。
これ以上話していては、スピーカーである華樹院さんに彼がホモだとばれてしまうかもしれない。
それに、彼女の面目がつぶれたら、俺に八つ当たりしてくる可能性もある。
なんだか頭が痛くなる話だ。
「俺は、まだ兄の借金を父の友人たちにしていますので、君を幸せには出来ないと思います。だから、どうか今回のお見合いはお断りしてください」
「氷雨さん……」
彼女と彼の声がハモる。実はお似合いだったりして。
「俺からは、こんな綺麗な女性は断れませんし」
落ちたハンカチを拾って土を落としながら、何とか状況を取り繕う努力をした。
すると地面にポタポタと雨粒が落ちだした。俺には恵みの雨の様に感じられた。
橋本さんが何か華樹院さんに助言した後、華樹院さんは帰って行った。
彼女は最後まで大粒の涙を零していて、俺にはもう状況がよく分からなかった。
未だに彼を諦めきれなくて此処に来ただけではなさそうだった。
「可哀相に。君が送ってあげたら良かったんじゃない?」
橋本さんが車まで見送っているのを眺めながら、帰ろうとしない彼に言う。
「は?」
「あんな綺麗な女の子に、どうして優しい言葉をかけてあげないの」
雨が激しくなってきたので、玄関に入ろうとしたら、彼が腕を掴み、そのまま壁に押し付けられた。
「アンタに誤解されたくないからだろ」
「痛い……」
「なんでそんな、アンタって」
苛立った彼の声が肌に直接当たる感じが怖かった。
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