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七、甘雨(かんう) 六
いつもなら、俺が痛そうな顔をすれば彼から手を離す。
けれど今回は、掴んだ彼の方が苦しそうだった。
「……橋本さんにも言われたよ。俺は人に興味を持ってないって」
「俺に全然興味がないって言いたいんだな」
「君もそれが分かってたから、兄の名前で俺に近づいたんだよね?」
「っ。そうだよ」
掴んでいた手が俺の胸辺りに置かれた。
「全然違う」
「?」
俺の手を再び掴むと、彼の胸に当てられた。すると、バクバクと大きく波打っているのが伺えた。
「無理やり落ちついた顔してんの。余裕なんて全くねえし」
どんな顔をしていいのか分からないけれど、彼は俺の手を自分の頬に宛がった。
「雛菊とお見合いだなんてすっげえ嫌だったけど、雛菊が元カノとか言いだしてあんたに誤解されたら嫌だって必死で言いわけしたのに」
氷雨さんには俺はどうでもいい存在なんだよな。
「なんか、分かってるんだけど。自覚も覚悟もしてたんだけど、きつい」
「俺だけが、一人でこんな馬鹿な事をしてるって自覚もあるけどさ」
頬ずりする彼は、居た堪れないぐらい可哀相な表情で俺を見ている。
「なんでアンタも人に興味を持とうとしないんだ。いや、今は止めてほしいけど」
ちょっとぐらいは俺を見てくれたらいいのに。
「俺のモノにも、誰のものにもならないなら、閉じ込めても怒らないってことか」
力なく笑った彼は、俺の唇に自分の唇を重ねた。
何度も何度も。それは別に愛情を交わすためでも、欲情からでもないキス。
抵抗すれば彼が傷つくのが分かっていたので、俺も避けることはできず、目を逸らすこともできず、少し傾いて鼻を避けるキス。
その冷めた行為に、虚しさを感じつつも上手く受け止めることもできず結果、さらに彼を傷つけるだけの行為になった。
俺のは優しさではない。
その場しのぎの、カレへの攻撃だ。結果、さらに彼を傷つけるだけの行為になった。
俺に縋るキスには応えるけれど、それから先には応える気がないように。
「俺が貴方の言う『筆下ろし』の少年だって気付いてました?」
「え?」
「アンタが傷つけた、後悔したって言っていた出来ごとの少年と隣の悪ガキが一致してないですよね」
「……嘘」
結びつかなかったのは、二人の少年の顔を覚えていなかったから。
「……眼中にもないのに。閉じ込めてたら見てくれる。でも過去にも未来にも俺は居ない」
自嘲気味に笑うと、彼はようやく俺を離した。
「無関心より嫌われる方が良いって思ってたけど、今はもう」
憎まれた方が幸せだった。震える唇が、小さく零す。
「……ごめんね」
「何に対して悪いと思ってんの?」
「……うん。そうだね」
何を言っても白々しい。地面を濡らす雨よりも、軽くて見えない俺の言葉。空が泣く。
その涙は、彼泣かない分代わりに泣いてくれたような、優しくて、俺の身体に突き刺さる雨だった。
彼はそれでもきっと、俺を助けてくれるんだ。
そう思うと、ポロンと一粒涙が零れたけれど、きっとそれは雨が落ちただけだ。
「どうして俺は、……そんなに人に興味が持てないのだろう」
深く関わりたくない。そんな思いが、冷たい俺をつくっていくのに。
「ただいま戻りました。これで当分静かになりますね」
「……橋本さん」
雨で濡れた肩をハンカチで拭きながら、橋本さんだけがいつも通りだった。
「橋本さん、教えてくれますか。彼が俺をこの家に閉じ込める理由を」
「ふふ。急にどうしたんですか」
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