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八、天気雨 二
Side:桜雨 氷雨
水はけの悪い庭に、一晩のうちに排水溝が溢れたような水溜りが出来ていた。
泥んこ遊びとか出来そうだし、田植えの中みたいな、複雑な光景だ。
花なんて育つのだろうか。
『各地で梅雨明けの宣言が出され、例年より――』
テレビを見ながら、橋本さんが昨日作ってくれた朝食を食べつつ、空を見る。
快晴だったが、この地域の梅雨明けは今週中ではないかとテレビが言っている。
縁側の戸を全部開けて、水浸しの庭を眺めたら雨の匂いが立ち込めていた。
「ねえ、それ何よ」
ぼーっとしていた俺に、隣の家に声が聞こえてきた。
「ただの朝食だよ。氷雨さんちに届けるだけ」
隣の家から雛菊さんと彼の声がした。
「あの人にそんなことしても見返りはないのに、、無駄じゃない?」
(……はっきり言う子だったのか。いや、どうして彼の家にこんな早朝から雛菊さんが?)
「ねえ、なんで彼女の私を無視するのよ!だったら私も行く!」
はっきり言って、広げた新聞紙はそのまま、ご飯も途中。
起きたばかりで髪もぼさぼさ。来られるのは困る。
何故彼女がこんな時間に彼の家に居るのかは分からないが、俺は彼を知らな過ぎる。
(俺から行ってみるしかない)
松葉杖を付きながらそろりそろりと彼の家に向かう。
隣の家は洋風で、庭はお爺さんが育てていた盆栽が並んだり、トピアリーがあったりと結構カオスだったはず。
「うわっ」
だけど覗いて後悔した。
(洋風の家の縁側って縁側って言葉であってるのかな。一階だけどベランダって言えばいいの?)
彼はそこで煙草を吸っていたのだが、下着姿だった。
ボクサーパンツ一枚だけ。俺みたいにシーサー柄だのクマ柄だのキャンディ柄ではなく、至って普通の面白みのない黒。
そんな彼を後ろから抱きつく雛菊さんは、昨日の清楚なイメージとは反対の、Tシャツ姿だった。
(か、彼シャツってやつだ)
思わず大きな音を立てて松葉杖を落としてしまった。
「氷雨さん!? わ、あちっ」
彼が咥えていた煙草を足に落して騒ぐ中、俺も慌てて松葉杖を拾って家に逃げ帰った。
「安心してね。もう私と彼は恋人だから」
俺の背中に雛菊さんがそう叫ぶ。俺は一瞬だけ悩んだけれど、後ろを振り返る。
すると彼の腕に抱きつくように雛菊さんが立っていた。
Tシャツ一枚の彼女の足が、生々しく見える。
「……お、俺は」
彼を見るが、彼は俺から視線を逸らしていた。
俺が何を言っても聞きたくないと言ったような、鼻から俺の言葉で傷つくと分かって諦めたような。
そんな顔をされたら、何を言っていいのか分からない。
もう朝ご飯は要らないから。
この状況でそれを言えば、彼が傷つくのは分かった。
でもソレを言いに来たのだからそれ以上の言葉が見つからない。
「ほ、本当に二人は、その性交渉したの?」
「ぶっ」
咳こむ彼を横目で見ながら、手持無沙汰から松葉杖を強く握る。
「……セクハラ質問だったらごめんね。じゃ」
「寝たよ」
低い、よく通る声で彼が言う。
「だったら氷雨さんに何か関係がある?」
冷たい突き刺さる様な言葉に思わず首を振る。
「出過ぎたまねをしてごめんなさい。恋人同士の事ならば俺は何も言わないよ」
「……それだけ?」
窄めた目が俺を睨むので、こくこくと頷く。
彼はもう一度煙草に火をつけると、煙を空に吐きだした。
彼の代わりに、雛菊さんが不敵に笑った。
「喜一くんは、おじい様は議員されてる地方の名士だし、お父様も不動産で沢山土地を管理されてて、不自由ない身分なんですよ。たまたま、平民のおばあさま用の別荘の隣の古い家の方が、あまり縁を高々に宣言するのは……恥ずかしいですよ」
彼はサラブレットとでもいうのか。ご両親もすごい人だったんだ。
おっとりと丁寧に雛菊さんが言うと、彼を後ろから抱き締めていた。
「それに貴方は喜一くんの遺伝子を残せない時点で、私に勝てないしね」
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