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八、天気雨 八
「俺の気持ち?」
「そ。俺の今の気持ちを聞いて、キモいとか重いとか思ってるならはっきり言ってくれ」
「そ、こまでは……でも、俺の言葉はキミを傷つけるし」
「傷つけていいって言ってるだろ」
煮え切らない俺の反応に、彼が不安で苛立っているのが言葉の端々で感じる。
いや、本当は彼も怖いのかもしれない。
「ごめんなさい」
俺の言葉に彼が面白いぐらい顔を強張らせたので、慌てて首を振る。
「あ、いえ、ごめんなさいって言うのは、俺が人に無関心で冷たくて、君のことを忘れていたことです。自分でも情けなくて、どうしていいのかわからないし」
耳に髪をかけながらしどろもどろに答えると、彼は小さく息を吐いた。安堵したのかネクタイを触っている。
「少しでも嫌じゃなかったのなら、いい加減俺の名前を呼んでくれねえ?」
「うっ気づいてたんですね」
「ああ。彼やらキミやら。もしかして既に俺の名前もどうでもいい?」
俺が彼の名前を呼ばなかったのは、兄の樹雨の名を使ったからだ。
別に今は……呼んでも良いのかもしれない。
ほんの少し期待させてしまうんじゃないかって不安にはなったけど、呼んでほしいと言うのならば別に名前ぐらい。
「喜一……くん。俺よりも俺の事を分かってそうだよね、君って」
肩の力が抜けるように小さく笑ってしまった。
あんなに散々傷ついたのに、それでも俺が頼りないから傍に居たいと言ってくれた。
今まで散々、一方的で説明もないまま俺のテリトリーに入ってきて傷ついて。
それなのに、俺を理解して傍に居させてと懇願してきた。
「ありがとう。こんな俺を君は受け入れてくれるんだね」
「っ」
「あ、また君って言ってしまった。ありがとう、喜一くん」
もう一度言い直すと、喜一くんは俺から背を向け、木にパンチして何かを押さえていた。
「えっと、何してんの?」
一応、名門書道教室の、きっと立派な名前のある木だよ。
「っしゃ!」
「喜一くん?」
「もっと呼んで。ってか一日何回も呼んで」
「分かったよ?」
本当は良く分かってないけど、名前を呼べば嬉しいらしいので、何度でも呼んであげようと思う。
「喜一くん、夜勤明けだから無理しないで帰って下さい」
「……この状況で俺が帰って眠れると思うの?」
「でも、徹夜明けで疲れてるんでしょ?」
「その疲れをぶっ飛ばすほど、あんたの一言に一喜一憂すんの。それが、好きだってことなんだよ」
「……う、うん」
じゃあどう言えば正解なのか。
俺は、喜一くんのように恋愛経験豊富ではない。
「……ごめん。君を喜ばすのも傷つけるのも怖いんだ。これって俺も一喜一憂してんのかな。傷つけても後味悪いし、喜ばしても……君の為にならないし」
「ぐたぐた考えなくていい。勝手に傷ついて勝手に喜んでるのは俺。氷雨さんはいつも通りでいい。その代り、視界の隅っこに俺を置いて? 分かった?」
どっちが先生か分からないような会話に俺は黙って頷いた。
「お互いぶつからなきゃ進むものも進まねえって、気づいたわ。とくに引きこもりの氷雨さんなら」
帰ろう。
喜一くんは俺にそう促した。俺の家に、喜一くんも帰るのが当たり前だと言わんばかりに。
でも傷つけても良い。それでも傍に居たい。
そう言われて、俺の視界がクリアになっていく。
花吹雪で見えなくなっていた視界が、サアアアっと花が飛んでクリアになってその先に、――喜一君が俺の事を待っていてくれたような清々しい気持ち。
華樹院さんが喜一くんに上がりなさい、お話しましょう、雛菊との関係はとしつこく質問しようとしたので、慌てて逃げるように帰ってしまった。
そして結局、俺は喜一くんが運転する車に乗り込んだ。
というか、彼が免許を持っていて車を持っていることさえ知らなかった。
なんていう車だろうか。牛みたいなケンタウルスみたいなマークの左ハンドルの車を見る。
すると、キーを回そうとしていた彼は俺の足を睨む。
「……その足で歩いてきたのか?」
「え、はい。もうほとんど歩けるんですよ。ほら、最初に縁側で擦った怪我もこんなに良くなってます」
ひらりと捲って傷を診せる。
すると、喜一くんが突然、ハンドルに顔を突っ込んだ。
クラクションが鳴ってしまい、思わず目を見開いてしまう。
「……違うから、それ」
「はい?」
「心を許すのと無防備は違うから。密室で、アンタの事を好きだと言っている男に、太腿まで見せないで」
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