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八、天気雨 九
怪我の包帯を巻いてくれた時は、自分は無表情だったくせになんで彼が捲るのは平気で俺が捲ったらダメなんだ。
俺の不満そうな顔に気づいたのか、彼は苦笑する。
「欲情していいの?」
「だ、だ、めです!」
「だろ。……そっち方面は警戒してほしい。俺、若いから」
「うん?」
それは俺が若くないと言いたいのか。
若いから、俺の白くて頼りない太腿を見て欲情する?
像走力豊かで、何にでも欲情するってことかな。
「俺には喜一くんが分かりませんが、理解していきたいと今日、今、ここで思いました」
「そうだ。理解しろ。んで好きになれ」
「それは分かりませんが、……嫌悪感はもうないかも。自分の至らなさが分かった今、君だけを責めるのは大人げないと分かったし」
「そーやってぐちゃぐちゃ悩まなくて、本能的に動いてよ。ってか、シートベルト」
「はい」
エンジンをかけた車の中で、彼の手が俺に伸ばされ、そのまま通過するとシートベルトを引っ張った。
カチャンと音がして、助手席に拘束された。
「シートベルトぐらい、自分でできるだろ」
「出来るのに、勝手に手を伸ばしたのは君です」
伸びた手に一瞬驚いたが、怖くはなかった。
でもなんだか、一気に喜一くんへの対応が素直になったと言うか。ガチガチに緊張して、ガードしていたのが嘘のように無くなった。その分、良く見てみようという気持ちになったというか。
「人の顔、じろじろ見るのやめてくれません?」
「そう言えば、その無理してる感じの敬語、やめていいですよ。本当はたまに戻る乱暴な喋り方なんでしょ?」
喜一くんは、敬語だったり乱暴な喋り方だったりと統一感がない。
意外と俺も見ていないようで見ているらしい。
「別に好きにしていいだろ!」
「まあ、個人の自由だし俺も敬語だから良いけど……なんでそんな喋り方なのかなって気になった」
俺が気になったと言った瞬間、目を見開く。
どうやら、気にかけたのが嬉しいらしい。意外と彼は分かりやすい人のようだ。
「……敬語の方が大人っぽくなるかなって思ったんだよ」
「無理しなくていいんじゃないですか?」
「無理しないとアンタは俺を見ないだろ」
短く吐き捨てられた言葉に、そのまま会話は終わってしまった。
原因は俺。いや、理由は俺ということだろうか。
「……なんか話してよ」
窓の外の景色を眺めていた俺に、居心地が悪そうに言う。
「では、好きな花とか野菜とか教えてくれますか?」
「花?」
「はい。庭を綺麗にしてもらったお礼に、育ててみます」
「氷雨さんには何でも似合う」
「何か言いました?」
ボソッと言われた言葉に首を傾げると、喜一くんは耳まで真っ赤にした。
「スイカ!」
「スイカですか。分かりました」
ヤケクソみたいな回答だったけれど、スイカは花も咲くから丁度いいのかもしれない。
「今までのお詫びに、スイカを食べに来て下さいね」
「今までのことはもういいから、今から俺を好きになってよ」
「……努力してみます。怖がらないで自分以外を見ることに」
逃げてばかりでこの年になった自分を情けなく思いながらそう頷く。
少し不満そうだから満点の回答ではなかったようだけど、これが今の俺の全力だから。
「ないものねだりはダメだよな。うん。すげえ進歩だと思うことにする」
さっきよりも砕けた彼らしい喋り方も、俺は嫌いではないらしい。
「あ、家の前で一端止めるから。俺の家の駐車場から氷雨さんの玄関までちょっと遠いし」
「ありがとうございますね」
素直にお礼を言うと、丁度家の玄関が見える距離になった。
すると、喜一くんが急ブレーキを踏んだ。
シートベルトのおかげで前に飛び出すことはなかったけど、喜一くんの顔が険しくなる。
「どうしたんですか?」
「氷雨さんはここにいて」
「喜一くん?」
「氷雨さんの家の様子が変。ちょっと見てくるだけだから。俺が車から降りたらロックするから絶対に出てきたらダメだ。いいな?」
せっかく喜一くんを分かりかけ、穏やかな雰囲気に包まれていたのに、急に現実に引き戻された。
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