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第449話 a pair of earrings (16)
「嫌な思いなんか散々してるよ、あいつ。俺が知ってるだけでも、しんどいこといっぱいあって。きっとそれ以外にもあって。だから本当はすげえ臆病だし。あんな言い方するし、愛想よくないけど、それはあいつの。」
「それは、分かるよ。自己防衛なんだろう。それで、カズはそういう彼を守ってやりたいんだろ?」
「守れねえよ。あいつ俺よりずっと強えもん。1人でずっと戦ってたから筋金入りだよ。俺みたいな甘ったれと違う。今の俺なんか、せいぜい足手まといにならないように自分のことがんばるので精いっぱいだよ。でも、もう1人じゃないって、そういう風には思っててほしくて。」
宏樹はそう語る和樹を見つめ、ふう、と息をひとつ吐くと、自分の両頬をパンパンと叩いた。気合を入れたようだ。「だめだなあ。俺はおまえにも涼矢にも負けてる。」
「は?」
「おまえらのほうがずっと大人だってこと。俺はおまえたちを理解してあげなきゃ、守ってやんなきゃって思ってたんだよ。そんなの必要なかったな。おまえら、いつの間にか俺のずっと先行ってたんだな。」宏樹はヨシ、と言いながら立ち上がる。「涼矢に謝っておいてくれ。俺のせいじゃないって言ってくれるなら、礼を言っておいてくれ。おかげさまで目が覚めましたってな。」
和樹は面食らってしばし黙っていたが、数秒後にぷっと吹き出してしまった。「俺には? 俺にはお礼ないの?」
「ああ、カズにも感謝してる。」宏樹は和樹の頭を撫でた。「ただ、もう俺の部屋は貸さない。」
「鍵、さっさと直せよ。」
「もう俺の協力なんか要らんのだろ、おまえらは。」
「うん。」和樹は笑う。「でも、お願いする時はあるかも。いつか。」
「ああ。」宏樹は部屋を出て行った。
そのいつか、とは親に伝える覚悟ができた時だ。その日が近いのかずっと先なのかは分からない。けれど、必ずその日を迎えるのだ、と、和樹は決心していた。
涼矢が帰宅すると、玄関には自分のものではない紳士靴があり、父親が既に帰ってきていることを知る。そのままリビングに行くと、正継がいて、紅茶のカップを片手に新聞を読んでいた。
「おかえり。早かったんだね。」
「朝の便が取れたからね。」
「おふくろは?」
「私と入れ違いに出て行ったよ。ちょっとだけ事務所に顔出すと言って。昼には戻ると言ってたから、もうすぐ帰ってくるんじゃないかな。」
涼矢もお湯を追加で沸かして、紅茶を淹れた。「相変わらず忙しいね、2人とも。」
「きみも忙しそうじゃないか。外泊して。」
「外泊って。友達んちに泊まっただけだよ。」
「都倉くん?」
ティーカップに紅茶を注ぐ手が一瞬止まる。気を取り直して、続きを淹れる。そのカップを持って、正継のいるソファのほうではなく、ダイニングテーブルのほうに座る。
「彼も帰省してるのかな。」
「うん。」
「元気だった?」
「和樹が?」
「きみも、彼も。」
「ああ、うん。元気。俺も、和樹も。」
「それは良かった。私はねぇ、検診で腸にポリープが見つかっちゃって。」
「平気なの?」
「もう取っちゃったよ。ひと月ぐらい前かな。大したことはない、内視鏡でその場でちょちょっとね。日帰りでも大丈夫なぐらいなんだけど、念のため一泊入院した。」
「向こうの病院で?」
「そう。」
「そういう時、1人だと大変だね。」
「一泊だし、救急で担ぎ込まれたわけではないからね、そう大変なことはないけども。治療も痛くも痒くもなくて。ああ、でも、検査の前に下剤入りの水をね、大量に飲まされるんだよ。あれは嫌だったね。」
「ふうん。」
「何にせよ、きみが入院していた時のほうが辛かったよ。」
「いつの話だよ。最後に入院したの、小2とかだろ。」
「そう、こんなに小さい子が苦しんでかわいそうに、って涙が出た。」
「何だよ、それ。」涼矢は苦笑した。「入院したっての、おふくろは知ってるの。」
「もちろん。」
「仲良いよね。」
「息子にそう思ってもらえるなら、我々は夫婦として結構うまくやれてるってことなのかな。」
「知らね。」涼矢は紅茶を飲み干して、空いたカップをシンクに持って行く。「昼飯、どうするのかな。」
そう言った矢先に、佐江子が帰宅してきた。「あら、涼もいたの。」
「うん。」
「やだ、どうしよ。都倉くんとこで済ませて来るんだと思って、お弁当2人分しか買ってこなかった。」
「あぁ、いいよ。俺、適当になんか作って食う。」
「えー。じゃあ私それ食べるから、あなたこのお弁当食べなよ。」
「なんでだよ。」
「コンビニ弁当より涼矢のごはんのほうが美味しいから。」
「俺がコンビニ弁当嫌いなの、知ってるだろ。」
「大体、なんでこんなに早く帰ってきたのよ。」佐江子はテーブルにコンビニ弁当を置き、涼矢の向かいの席に座る。
「帰ってきちゃ悪いかよ。」
「悪くないけど。」
「向こうは久しぶりの家族全員揃っての団欒なんだよ。」
佐江子は正継を振り返る。「うちもじゃない?」
涼矢はフンと鼻先で笑った。「俺、やっぱどっかで食ってくる。牛丼かなんか。」
「なんでよ。家族団欒だねって言った矢先に1人で行く気。」
「もともと2人で食べるつもりだったんだろ。」
「だってそれはあなたが都倉くんちに。」
「じゃ、どうぞ夫婦水入らずで。」涼矢は財布ひとつを手に、リビングを出た。
「もう、すねちゃって。」部屋を出る間際、そんな声が聞こえた。
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