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第451話 a pair of earrings (18)

 涼矢の家の正月はいつもこんな感じだ。およそ手作りなどしない。せいぜいかまぼこを切るぐらいだ。雑煮すら作らない。年越しそばも出前か外食だ。普段から掃除だけは行き届いているから、大掃除もさほどのおおごとでもない。年末を理由にして慌ただしいのは年末進行の仕事だけで、家庭内においてはいつもと大して変わらない。正継がいる、ということが唯一の「普段と違う点」だった。 「明日蟹と帆立で、今日手巻き寿司でいいの?」 「いいよ。」と佐江子と正継の声が重なった。「買い物に行くなら、一緒に行くか。鮮魚センターのほうまで。」と正継が言う。調理技術はともかく、「目利き」はまだ涼矢に任せられないと言うのが本音なのだろう。 「私も行こうかなぁ。日本酒買いに行こうと思ってたの。あ、そうだ、涼が運転しなよ、あの車、今じゃあなたがメインなんだし、お父さん乗せてあげたことないでしょ?」 「安全運転で頼むよ。」  断る隙を与えられずに、図らずも親子3人で買い出しに行く羽目になった。鮮魚センターは、和樹と行った海岸の、もっと先の漁港の近くにある。鮮魚の他に地元で採れた野菜や土産物も扱っており、佐江子の好む地酒もある。曜日によっては朝市もやっていて、最近では地元民だけでなく観光客も訪れるらしい。  車の中では、涼矢が運転席、助手席に正継が、後部座席に佐江子が座った。佐江子の座っているところで和樹を抱いたのは、ほんの一昨日のできごとだ。極力そんなことを思い出すまいと、涼矢は珍しく自分から正継に話しかける。札幌は寒いか、仕事は忙しいかという、本当は大して興味もない雑談を。  そんな涼矢の努力も無駄にする一言を佐江子が放ったのは、走り始めてまだ30分ほどしか経過していない時だ。 「この車で東京まで行ったのよ、涼矢。」 「それは疲れただろう。」 「それも夜中に出発して、よりによって台風の日。気が気じゃなかった。」 「なんでまたそんな時に遠出なんかしたんだ?」 「……別に。運転の練習しがてら。」 「東京って、都倉くんのところか。」  すぐにその名前が出ることで、やっぱり父親は「知っている」のだと思い知る。「ああ。」と素っ気なく返事した。 「そうか。」正継もそれしか言わなかった。  車内が沈黙に包まれる。涼矢はさっさと音楽でもかければ良かったと後悔した。今更かけても白々しい。結局気まずいまま目的地の鮮魚センターに着いてしまった。 「運転、何の問題もなかったな。駐車もきれいに一発だ。」車から降りて歩きだすと正継が言った。 「それぐらいは。」 「佐江子さんは仮免何回落ちたんだっけ。」 「うるさいわね。」 「何度も?」涼矢が聞き返す。 「3回だけよ。」 「根本的に向いてないんだよ、赤信号は気をつけて進め、のタイプだから。」と正継が言い、笑う。 「人聞きの悪い。交通ルールは遵守してるってば。」 「交通ルールは、ね。運転しながら前を走る車を口汚く罵ってはいけないという規則はないから、確かにそうだ。」 「え、母さん、そんな運転してた覚えないけど。」 「ほう、涼矢の前では一応レディーなんだねえ。」 「うるさいうるさい。はい、何買うの? マグロ? ハマチ? 甘エビもいいな。で、私は、お酒売り場行ってていい?」鮮魚センターの入口の自動ドアが開くと同時に、佐江子はそんなことをまくしたてる。 「では、30分後にここで。」と正継が冷静に言う。 「了解。」佐江子はそのまま酒売り場に向かって行った。  正継と一緒に魚を物色する。あらかじめ手巻き寿司用に棒状に切ってある盛り合わせを手にした涼矢に、正継はそれをよしとせず、一尾丸ごと、あるいはせめてサクの状態で買うべきだと主張した。 「でもうち、柳刃とかないし。」と涼矢が言う。 「切ってもらえるはずだよ。ほら、あそこの、調理承り窓口というところで。」 「いろんな種類が買えない。」 「買えばいいじゃないか。」 「丸ごとやサクだと量が多いだろ。手巻きって、いろんなのを少しずつ用意するんじゃないの。和樹んちはツナマヨとか明太子もあった。」 「邪道だねえ。ツナマヨにカイワレ挟んで食べるんじゃないだろうな。」 「ダメ?」 「本当にツナマヨにカイワレ?」 「カイワレはなかったけど、ツナマヨだったら、大葉とかきゅうりとか。」 「そうなると寿司とはちょっと違うな。」 「いいんじゃないの。回転寿司とか手巻き寿司は好きなものを好きなように食べれば。正統派の寿司は職人が握ったのを食べればいい。たこ焼きにキムチチーズだって合う。」 「たこ焼き?」 「いや、それは余計な話だった。」 「……まあ、いぶりがっこにクリームチーズだって美味しいからねえ。分かった、きみに任せるよ。」  涼矢は都倉家で食べた手巻き寿司を思い出しながら、次々に買い物カゴに放り込んでいった。鮮魚コーナーの次には青果に回り、大葉や葱などを求め、最後に焼き海苔を買って、会計は正継がする。その間に涼矢はサッカー台に行き、買ったものを手際よく袋に詰めて行った。 「手慣れたもんだね。」会計を済ませた正継がやってきた。 「我が家の主婦なんで。」 「半分持つか。」 「大丈夫。」  ついでに正月用の餅やかまぼこや伊達巻、松前漬けなんてものも買ったから、買い物袋はそれなりの量になっていた。 「都倉くんのお宅には、そんなに頻繁にお邪魔してるのかい。」佐江子との待ち合わせのために入口に向かいながら、正継が唐突に言った。 「え。……いや、そんなには。」 「彼にもまた会いたいね。」 「いいよ、会わなくて。」 「いつまでこっちにいるのかな。」 「だから、いいって。卒業以来初めての帰省なんだから、よその親と会ってる場合じゃないだろ。」 「お盆も戻らなかったのか。」 「そう。」 「ああ、それできみの方から行った? 台風の中。」 「それは……また別の時。」 「別? そんなに何度も東京へ?」 「何度もじゃない。2回だけ。」知らず佐江子と似たような言い回しになる。 「2回とも車で?」 「車は1回。いいだろ、もう、そんな話。」  まだ何か聞き出したがっている正継だったが、佐江子が来たので会話は中断された。佐江子は1升瓶を2本と、乾きものの入った袋をぶら下げていた。1升瓶のほうはすかさず正継が持つ。

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