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第452話 凍蝶(1)

「2本買ったら、サービスでお屠蘇の素もらったわ。これってお酒に入れればいいんだっけ。」 「屠蘇散な。お酒に漬けるけど、少しみりん入れたほうが飲みやすいらしい。」と涼矢が言う。 「あなた時々おばあちゃんの知恵袋みたいなこと言うよね。」 「おばあちゃんが言ってたんだよ、覚えてろよ。娘だろ。ちゃんとおせちの作り方だって教わったじゃない。」 「おせちはねぇ、冷凍技術も電子レンジもない時代の産物なの。だからなんでも、お砂糖とかたーっぷり使ってて味が濃くて、今の時代に食べたって大して美味しくないでしょ。覚える必要ないわよ。」 「ああ、でも一度、深沢家の味だという伊達巻をいただいたね。あれは美味しかった。随分昔の話だけど。」 「そんなの知らない。」と涼矢が言う。料理の話なら多少興味が湧く。 「それ、違うわよ。勢津子(せつこ)姉さんが作ったの。深沢の家のじゃないよ。涼矢が生まれる前の話ね。お姉さん、お正月のお手伝いに来てくれた時に、誰も何も指示しないものだから、自分流に作ったのよね。それでこれは味が違うなんて親戚のうるさ方に文句言われて。お姉さんは何も言わなかったけど、私のほうが悔しくなっちゃって、いつものよりずーっと美味しいからいただきますって言って、もらって帰ってきたんだったわ。」  勢津子姉さん、というのは佐江子の腹違いの姉だ。ずっと存在が隠されていて、佐江子が成人した後に突如現れた一回り以上も年上の姉だった。我の強い弟とは違い、物静かで控えめな性格だけれど、佐江子の異母兄弟の中では年齢的に一番上だったため、深沢の家の後継者問題をややこしくする一因でもあった。 「勢津子姉さんはお料理が上手なのよ。彼女のお母さん、芸者やった後で料亭で働いてて、稼いだお金と父からの援助で小料理屋やってたから、そこで覚えたって。涼矢の料理上手は、もしかしたらそっちの血かもしれないわねえ。」 「そっちの血ったって、勢津子伯母さんと俺の共通の遺伝子って、深沢の爺さんだけだし。ほぼ他人だろ。」 「分かんないよ、あの人の血、普通の何倍も濃そうだから。現にあなたの顔……。」 「やめて。」  佐江子はからからと笑う。「涼矢、本当にそれ言われるの嫌がるよね。」 「分かってて言うのやめろ。」 「私は好きだよ、きみの顔も、おじい様の顔もね。」 「父さんまで、やめて。」 ――血か。それを言うなら、あの人の話が聞きたい。若くして亡くなった父の弟。あの叔父から俺が受け継いだものはなんですか、と。……でも、その答えを聞くのは、少し怖い。どうしてだろう。たとえあの叔父がそうでもそうでなくても、怖がる必要なんかないはずなのに。  車に乗り、父の横顔を見る。横顔が似ていると和樹が言っていた。自分では分からない。祖父に似て、父に似て、叔父に似て、血の遠い伯母に似ていると言われる自分。でも、その誰とも違う自分。――いや、そもそも俺はどこにいたって異分子だ。部活でもクラスでもピアノ教室でも、自分が属している場で馴染めたことなどない。哲と出会っても、宮脇やアリスの存在を知っても、それは変わらない。  夕食の準備があらかたできて、いつものようにダイニングテーブルに並べようとすると、正継が和室で食べないかと言った。 「いいけど、どうして?」と涼矢は尋ねる。 「なんとなく、らしいじゃないか。ダイニングテーブルより、和室のコタツのほうが手巻き寿司に似合う。」 「……そう言えば俺が小さい時には、あっちで食べることのほうが多かったよね。」 「椅子だと落ちそうになるから、小さい子は座卓のほうが安心だったのよね。私や田崎さんがのんびり晩酌しているうちにウトウトしても、すぐ隣に寝かしておけるし。」佐江子が言った。  その記憶はうっすらとある。今はコタツ仕様になっているが、暖かな季節は座卓として使っている家具調コタツ。何が面白かったのか、仏壇と母の間を何度も行ったり来たりする遊びが好きだった。不在がちの父がいる時には嬉しくて、父の膝に座って、甘えた。甘えられて嬉しかったのか、塩辛なんかを幼い涼矢に食べさせようとして母に叱られる父がいた。折り紙をした。粘土遊びもした。「ぱぱとままのえ」を描いた。画用紙から天板にまではみだしたクレヨン。それを拭きながら、でも母は叱らなかった。翌日その絵は壁に飾られていた。叔父が趣味で描いていた風景画の隣に。その時はそれを描いた人が誰かは知らなかった。そう言えば、あの絵、いつの間にかなくなっている。この部屋の、あの壁にあったはずの。  そんなことをぼんやり思い出しながら、3人で手巻き寿司をする。誤算はしゃもじがひとつしかなかったことだ。和樹の家には、普通より小さめのしゃもじが4本あって、だから真ん中に置いた飯台から同時に酢飯をすくえたのだ。ひとつしかないとなると、使いたいタイミングが重なった時に困る。仕方ないので途中からはスプーンを追加して代用した。 「風情がないね、スプーンだと。」などと正継が言う。 「でも、そのためにしゃもじ買うってのもね。もう二度としないかもしれないし。」と涼矢が言う。 「淋しいこと言うなよ。」と正継が笑った。  涼矢は話題を変える。「ねえ、あそこに、絵があったよね。風景画。」  しゃもじを持つ正継の手が止まる。「ああ、義国(よしくに)が描いた。」 「そう、確か、そう聞いた。」 「あれは亡くなった時に人に譲った。形見分けで。」

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