454 / 1020
第454話 凍蝶(3)
「義国のことは、正直、ほとんど知らないんだ。さっきも言ったように、兄弟とはいえ一緒に暮らした期間が短かったしね。彼が向こうでどんな暮らしをして、どんな友達がいて、結婚を考えるような相手がいたのかいなかったのか、そういったことはまったくと言っていいほど知らない。そんな中で、自分が見つけた子が賞を獲った、才能のある子なんだ、これからもっと有名になるぞと電話を掛けてきた。だから彼は私にとっても、特別な存在だった。義国を知る共通の知人と言ったら、その彼ぐらいだったから。」
「今も連絡取ってるの?」
「クリスマスカードを贈り合うぐらいかな。彼も、今は結婚して……ああ、同性のパートナーとね。仕事も順調で、幸せそうだよ。そうそう、養子も2人いる。ヨシュアとコニーと言ってね、義国から音を取ったんだそうだ。義国はいなくなったけれど、彼の残したものが確かにあるんだなあと思うと嬉しいね。」
「父さんは、その、そういう……。」涼矢は無意識に膝の上で拳を握る。「同性のパートナーとか。自分の弟がそういう人に告白されてたこととか聞いた時に、どう……。」
「別になんとも思わないね。」
「えっ。」涼矢は思わず目を丸くして父親を見た。
「誰が誰を好きになるかというのは個人の問題であって、他人がとやかく批判したり揶揄したりするものではないと思うよ。そういったことを理由として、不当に不利益を被る場面については法の整備も必要だと思うけれども、法で縛るより運用面で柔軟な対応をしたほうが好ましい場合もあるしね、そこは慎重に議論を重ねて行かないと……って、こういうことが聞きたいのではないのかな?」
「あ……。」涼矢は思わず正継の視線を避けるようにうつむいた。
「きみが聞きたいのは、私が父親として、きみの性指向についてどう思うかということ?」
真正面から言われて、ますます何も言えなくなる。もう少し婉曲に言えないのかよ、と思う。昔からこの人はこうだけれど。
「そうだとしても、答えは変わらないよ。別になんとも思わない。きみにとって、それが幸せな恋愛なら、言うことはない。」
「義国叔父さんが亡くなる前から、そう思ってた?」
正継は再び義国の写真に目をやった。「私と佐江子さんにしても一般的な婚姻の形とは違うけれど、私自身はそれを特別だとは思わない。そういうことは自分と相手が納得していれば良いことでね。年が離れていようが国際結婚だろうが、あるいは同性だろうが、特別なことなんてないと思ってる。」それから涼矢を正面から見た。「そういう考えは昔から変わらないね。これはきみの疑問に対する回答になっているかな?」
涼矢も顔を上げて父親を見た。この視線を、今度こそ外してはならないと意を決した。「……父さん、知ってるんだよね? 母さんから、聞いてるんだよね?」
「きみのおつきあい相手について?」
「うん。」
「聞いてるよ。」
「考えは変わらなかった? 驚きもしなかった? 俺がそうだと知っても、まったく?」
「驚きはしたかな。きみもそんな年頃になったんだなという意味の、嬉しい驚きとして。」
「それだけ?」
「それだけだね。」
「母さんは不安がってた……よね? 俺にはそう見せないようにしてたけど。」
「少しね。人は誰でも未知の分野に対しては不安になる。だから大丈夫だと言った。」
「でも、許せるわけ? 俺が。」そこでどうしても間が空く。それでも懸命に言葉を絞り出した。「……男と、つきあうこと。」
「人を好きになることの責任は自分が負うんだよ。きみの恋愛の責任を私に委ねられても困る。」正継は少しも表情を変えずそんなことを言う。
「でも、父さん、あいつに会いたいって言うし。それって、その、査定的な意味なんじゃないの?」
「きみのお相手だもの、どんな人物なのか気になるよ。でも、どういう人であれ、その相手を好きになってはいけないなどと言う権利は私にはない。」
「でも。」
正継はこの話題になって初めて少しだけ表情を変えた。「きみは否定されたいんですか?」
「え。」
「さっきから、でもでもって。」
「あ……そういうわけじゃ……。」
「だったら、否定から話を始めるのはやめたほうがいい。」
「……はい。」
「この話になると殊勝だね。」正継は元の柔和な表情に戻った。「佐江子さんの言った通りだ。」
「か、母さんは、なんて?」
「きみは私たちの自慢の息子なんだけれど、きみ自身の自己評価は低すぎると常々思っていてね。」
「なんの話。」
「きみの質問に答えようとしてるところだよ。私はね、今回のきみの恋愛問題について佐江子さんから話を聞いて、その理由がようやく理解できた。きみと佐江子さんがその話をした時、きみは非常に真摯な態度で話してくれたとも聞いている。もっと早くにそういう場を設けるべきだったかもしれないと佐江子さんは言っていたけど、そこについては私は疑問だ。つまりね、きみがそうやって母親と対峙できるまでになれたのは、都倉くんとの出会いのおかげだと思うから。」
都倉くん、という具体的な名前が父親から出ると、心臓がきゅっと痛くなる涼矢だった。
ともだちにシェアしよう!