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第455話 凍蝶(4)
「それ以前のきみは身を守ることに必死で、私たちの真意に耳を傾ける余裕もなかったと思うんだ。ただ、そうは言っても、恋愛問題とあっては、なかなか親が介入できるものでもないわけで。我々にできることと言ったら、きみの他者への愛情を否定しないということしかない。もしかしたらそれは、ある種の人々やある種の場面においては否定されてしまうものだとしても、私と佐江子さんはきみを肯定するよ。だからきみも、もう少し自分で自分を肯定する努力をしたほうがいいと思うね。それができるエネルギーが、今のきみにはあるはずだから。」
父親が淡々とそんなことを語るのを、涼矢は必死で聞いた。言っていることの意味は理解できた。だが、自分の予想していた答えとあまりにも違い過ぎて、それが自分に向けられた言葉であることがにわかには信じられなかった。「えっと、それってつまり。」
「つまりも何も、きみの心はきみのものだし、当然きみの恋愛もまたきみのものだという、ごく基本的なことしか言っていないつもりだけれど?」
「あ……ああ、そう。」涼矢は間の抜けた声を出す。困惑して前髪をやたらとかきあげた。
「とはいえ、お相手がどうしようもないクズだったら、それはそれで、私も手を打ったとは思うけどね。」正継はそう言うと、あっはっはと、今日一番の愉快そうな笑い声を上げた。
「なっ、何言ってるんだよ。何するつもりだよ。」
「いやいや、都倉くんについては、何もするつもりはないよ。良い青年だからね。」
「ちょっ。」
その時、襖が開いた。佐江子だ。「なあに、大きな声で笑ったりして。私のいない隙に随分と楽しそうね。」
さっきまでは父親と2人きりでいることが気詰まりだったはずの涼矢だが、ここまで来ると佐江子と正継にタッグを組まれることのほうが気が重い。だからこれ幸いと佐江子と入れ違いに和室を出ようとしたが、佐江子に呼び止められる。それにもめげずに「コーヒーでも淹れてくる」と言って、そのままキッチンへと向かった。
涼矢は淹れたコーヒーを自分の分だけマグに注ぎ、2人分はポットに残して、「キッチンにコーヒーあるから」とだけ言い残して、マグを片手に自室に引っ込んだ。
ベッドに腰掛けて、コーヒーを飲む。今の父親との会話を整理する。結論から言えば、和樹との交際を否定的にとらえてはいなさそうだ。叔父が同性愛者だったかどうかは分からずじまいだが、もうその件はどうでもいい気がした。父親の「寛容さ」が弟の死と引き替えでないのならそれでいい。
「あ。」涼矢は呟く。和樹に連絡していなかった。明日のことは何も決めていなかったが、とりあえず電話した。
「ごめん、遅くなった。」
――大丈夫。俺も結構わちゃわちゃしてた、今日。おせち作り手伝わされて。
「へえ。」
――お父さんと会った?
「うん。俺が家着いたら、もう、帰って来てて。朝早い便が取れたみたい。」
――そっか。
「手巻き寿司した。都倉家を見習って。」
――高級フレンチじゃないんだ。
「そんなしょっちゅう食べてるわけじゃないよ。」
―― ……何か、話した?
「うん、まあ、いろいろとね。別にそれで何か大きく変わったってことはないけど。おまえのことは好青年だとさ。」
――え。……知ってんだよな、親父さん?
「うん。その上でね。和樹のことは、気に入ってる。ぽい。」
――そっか。まあ、おまえが嫌な思いしてなきゃいいんだ、俺は。
和樹のそんな優しい言葉は、決してご機嫌取りではないし、適当に調子よく言っているのでもない。そう素直に信じられることが、嬉しい。
「大丈夫。」
――それで、明日は、どんな感じ? 明日こそZホテルでディナーか?
「その話、しそびれてて。でも、何も言われてないってことは好きにしていいんだと思う。」
――明日は無理しなくても、明後日も、大晦日も会えるよ?
「無理せず本能のままにしていいんだったら、明日も明後日も大晦日も会いたい。」
――お、珍しい。涼矢がそんな風に言うの。
「今から車飛ばしておまえんち行きたいぐらいだよ。」
――情熱的ぃ。
「良いって言えば本当に行くよ。」
――……ダメだよ、もう兄貴、部屋貸してくれないって。
和樹は笑い混じりに言うが、涼矢のほうは笑えない。
「宏樹さんとはまだ……その。気まずい感じ?」
――いやいや、そんなことない。もう普通。気にすんな。
「俺は、別に。」
――兄貴が謝ってた。つか、そう言ったらおまえは謝る必要ないって言うだろうから、お礼を言っておいてくれって。
「お礼?」
――目が覚めたって。例の生徒のこと。おまえに重ねてたって。違う人間だって言われてハッとしたってさ。
「……ああ、そのこと。」
――ごめんな、ホントに。兄貴だけじゃなくて、親父もいろいろ無神経なこと言って。
「気にしてないから。」
――俺さ、おまえが言いたいこと我慢すんの、嫌だから。俺の親だからとか兄貴だからとか関係なく、言いたいことはちゃんと言ってくれよな。
「うん、じゃあ、言わせてもらうけど。」
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