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第457話 凍蝶(6)

 涼矢は路肩に寄せて、いったん車を停めた。ハンドルを見つめるようにうなだれる。「うん。よかったんだ。親父、そういうことって個人の問題だって言ってくれたし、そう思うのは、叔父さんが死ぬ前からだって言ってたから。」 「え?」 「分かりづらいよな。ごめん。」涼矢は、ふう、と息を吐く。それからまたしばらく考え込む。和樹は黙って待った。こんな場面にももう慣れた。数分経過した後に、ようやく涼矢は話しだす。「おまえは、うちの親が最初からゲイとかに理解あるタイプだと思ってるだろうけど、それ、たぶんちょっと違ってて。」 「うん。」 「少なくともおふくろは、渉先生のことがあって、初めてゲイについてまともに考えたんだ。もともと偏見なんかなかったつもりだったのに、身近な人がああいう形で死んで、そこに俺まで巻き込まれたかもしれない可能性に気付いて、その気持ちが揺らいだ。昨日の宏樹さんと同じだよ。その後、何年もかけて勉強して、知識と理性でそれをねじ伏せて、それでやっと今のおふくろなんだ。」 「……じゃあ、兄貴も、そのうち佐江子さんみたいに?」 「なるかもしれないし、ならないかもしれないけど。」 「そっか。なってくれるといいな。」 「宏樹さんの正解はおふくろとは違うところにあるのかもしれないし、何がいいのか、俺には分かんないけどさ。」涼矢は、今度はフロントガラス越しに、遠くを見るような目をした。「……とりあえず、おふくろは、人ひとり死んで、自分の中の矛盾っていうか……気づいたわけで。」  和樹は唾を飲む。なんだか緊張した。 「親父までそうだったら嫌だなって思ってた。自分の弟がゲイってことを、弟が死んで、その葬式に来た外国人から聞かされて知って、悩んだり苦しんだりした挙句にやっと受け入れる気になった。それで免疫ついたから、俺たちのこともあっさり認めた。そんなんだったら嫌だって。」  和樹は涼矢の横顔を見る。父親と似ていると思った横顔。エリートで裕福な父親を羨ましいと思っていた。キャリアウーマンの権化のような母親を羨ましいと思っていた。何よりも彼らに無条件に愛され、理解される涼矢が羨ましかった。 「だから、親父に確かめるのが怖かった。誰かの命と引き換えじゃないと理解してもらえないんだったら、理解なんかしてもらえなくていいって思った。」  その言葉を聞いた瞬間、和樹は体をビクリと震わせた。誰かの命と引き換えに? そんなこと、考えたこともなかった。考えもせずに、俺は涼矢にどんな言葉をぶつけてた?「……ごめん。」  涼矢はハンドルにもたれるようにしながら、和樹を見た。「なんで和樹が謝るの?」 「俺、涼矢んちは理解のある親でいいな、なんて、すげえ軽く言ってた。」そうだ。そんなことを言った。褒め言葉のつもりでさえいた。涼矢はそれをどんな気持ちで聞いてたって? 「ああ。」涼矢は笑った。「それは別に。俺が和樹でもそう思ったと思うし。……けど、和樹が俺だったら、俺みたいにマイナス思考じゃなかったんだろうな。もっと素直に、こういう親で良かったって。」 「俺は考え浅いからな。」和樹も笑った。笑うしかできなかった。自分の浅はかさ加減に。 「そんなことないよ。俺が勝手にややこしく考えすぎるんだ。」涼矢はそう言うと顔を上げ、今度はシートの背にもたれた。「とにかくね。親父の言葉を信じれば、叔父さんが死ぬ前から考えは変わらないって。佐江子さんとの事実婚にしても、一般的ではないわけだし、そういうことは自分と相手が納得していればいいことだって。その考え方は、前から変わらないって言ってくれたから、ホッとしたっていうか。」涼矢は和樹を見た。「それでやっとね、理解してくれる親で良かったって。そう思ったら、叔父さんがゲイだったかどうかなんて、どうでもいい気がした。」 「そっか。」和樹は涼矢の家で見た写真を思い浮かべていた。涼矢に似てると思ったはずだけれど、今はぼんやりとしか思い出せない。――俺は何を見て涼矢に似てると思ったんだろう。涼矢が誰に似ていても、涼矢は涼矢だ。 「和樹。」 「ん?」 「キスしよっか。」  唐突な涼矢の申し出にびっくりしたものの、涼矢は憑き物が落ちたかのようにすっきりした表情で、それを見たら拒否することなどできなかった。「なんだよ、改まって。」そんな風に混ぜっ返しながら、涼矢が望むことなら何でもしてやりたい、と思う。 「昨日できなかったし。」 「ん。」和樹は顔を涼矢に向けて、目をつぶったが、「和樹からして?」という涼矢の声に、目を開けた。シートベルトをいったん外して、涼矢のほうに身を乗り出して、口づけた。唇を離した後も至近距離に顔を留めて、額同士を押し付けた。 「俺、ちゃんと好きだからね。」と、和樹は涼矢に言い聞かせるように言った。 「うん。」  嬉しそうにはにかむ涼矢を見つめる。そうだ。こいつと俺さえ気持ちが通じていればいい。他の人に理解されなくたって。認めてもらえなくたって。こうやって、2人で生きていければ。  そう思ったはずなのに、口からは違う言葉が出た。「涼矢が好きだし、涼矢のお父さんもお母さんも好きだ。会えていればきっと叔父さんのことも好きになった。俺は、おまえが大事に思ってる人も、おまえを大事に思ってくれてる人のことも、みんな好きだ。」  涼矢は面食らった顔をする。

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