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第458話 凍蝶(7)

「でも、涼矢が一番好き。」もう一度唇を重ねた。「だから、俺とおまえが納得していればいいって、俺もそう思うよ。けど、それって最後の最後の話。やっぱり俺、おまえのお父さんもお母さんもどうでもいいなんて思えない。自分の家族もだよ。だから、今はまだ、おまえもそういう風に……俺の親も、兄貴も、好きになって。あんな無神経な親だし、バカ兄貴だけど、嫌いになんないで。俺、ちゃんとうまくやるから。おまえとのこと、分かってもらうから。それでも、どうしてもだめだったら、その時には、俺とおまえさえよければいいって、そう思うようにするから、それまではジタバタさせて。」ジタバタできるうちはそうしたほうがいい。そのほうが人生は豊かだと、誰かも言ってた。そう、俺はまだ、やれることをやってない。 「和樹。」涼矢は拒否だと思われないように気をつけながら、和樹の両肩に手を置いてゆっくりと遠ざけた。「嫌いになんかならないよ。」 「俺さえいればいいって言われるの、すげえ嬉しい。でも、やっぱりさ。」 「……おまえ、前も言ってたもんな。」涼矢は上方につながる山道を見る。その先の、遠くに海が見える場所まで2人で上ったあの日。いろんな人と出会って、それにはぜんぶ意味があって、自分を作ってきたのだと、確か和樹はそんなことを言ったのだ。かつての隣人さえ「今の自分を形作ってくれたもの」として数える和樹。そんな和樹にとっての家族は、きっと自分が思うよりずっと重くて大事なんだろう。涼矢は和樹の頭に手を載せて、軽く撫でた。「分かった。和樹の大事なものは、俺も大事にする。」  和樹は「へへ。」と笑って、元のように座り直して、シートベルトをつけた。「じゃあ、まずはおまえだ。おまえ自身を大事にしろ。」 「え?」 「俺が大事なのはまずおまえなんだから。」 「あ……うん。」 「なあ、あの温泉行こうぜ。」和樹は突然そんなことを言う。 「いいけど、営業してるかな。」 「してなきゃ、その時はその時だ。営業してても替えパンツないけど、我慢しろ。」 「今度から車に新品のパンツ置いておこうかな。和樹とつきあってると、急に泊まっていけだの、急に温泉行こうだの言われるから。」 「バーカ。」  そんな軽口を交わしながら、万一それを正継や佐江子が見つけたらどう思うのだろうかなどと涼矢は考えた。その反応の予測はつかなかった。我が親ながらあの人たちの考えることはまるで予測不能だ。――分かるのは、何があっても自分を肯定してくれるということだけ。 「だったら、コンドームも置いておけば?」和樹はからかう口調で言った。 「昨日、この車で買い出しに行ったよ。親父とおふくろ乗せて。これ、親父名義の車だし、断りきれなくて。」 「うわ。」 「というわけで、パンツはともかく。」 「いや、パンツもともかくではねえだろ。」 「まあ、和樹が正解だったよね。」 「何が?」 「あの時、ゴムつけてさ。後部シート、佐江子さん座ったからね。もしシミなんかつけてたら。」 「だからね、ポッケに1つ2つ忍ばせるのがエチケットなわけよ。」 「さすがですよ、都倉先生。」 「そういうことで先生呼ばわりすんじゃないよ。」  やがて温泉施設に到着した。駐車場と言うには整備もされていない空地には、先客らしき車が何台も停まっていた。 「やってるみたいだな。」和樹が入口に立つと、やっているどころか年内は大晦日まで、年始は3日から営業するという貼り紙がしてあった。更に一歩中に入る。「すげ、混んでる。」鍵のない下足箱は使用中ということで、ほとんどすべての下足箱が使用中になっている。 「このあたりじゃ、帰省したってほかに行くところもないもんな。」と涼矢が呟く。ロッカーも並びで空いているところはなくて、離れ離れになって着替えをし、レンタルしたタオル片手に大浴場の引き戸の前で再び合流した。 「こんな混んでちゃ、チューはできないな。」と涼矢にだけ聞こえる小声で和樹が言い、ニヤリとする。 「あまり刺激すんな。また風呂から上がれなくなったら困る。」と涼矢は自虐で言い返す。 「せいぜいのぼせないように気を付けろよ。」そんなことを言いながら和樹は手桶を手にした。  普段は年寄りがメインの客層だが、今日は親子連れも多い。ただ、和樹たちのような若者はほとんどいない様子だ。顔見知りの同級生などには会わずに済みそうだ、と無意識に思ったのは2人共同じだったが、お互いそれを口にはしなかった。  温泉施設とは言え、大浴場のほかにはサウナ程度しかなく、レストランやゲームセンターのような設備もない。辛うじて飲み物だけは売っている。汗を流したらとりたてて他にすることもないから、コーヒー牛乳を飲んだら退散することにした。 「さっぱりした。」上気した頬で和樹が言う。「やっぱ広い風呂はいいな。」 「うん。」特に和樹の東京のアパートの風呂は狭い。トイレと別室なのはいいが、その分浴槽も狭くて、しゃがむようにしか入れない。今思うとよくあんな狭いところに2人で。そこまで思い出して、その回想を中断した。ここまで耐えてきたのだ。せめて車に戻るまでは。

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