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第460話 凍蝶(9)
入れ替わるように近づいてきたのは桐生カノンだ。エミリの親友で、あの日、和樹が暴露した内容については、このカノンがみんなに口止めしてくれたと聞いていた。「元気そうね、2人とも。」
「うん。あれ、エミリは?」と和樹が言った。
「知らないの? 今は遠征でオーストラリア行ってるよ。」
「マジか。すげえな。」
「和樹とは会ってるんじゃないの、東京で。」
「夏前にちょっと会っただけだよ。」
「そう?」カノンは含みのある笑い方をした。ストーカーの件で和樹の部屋に身を寄せていたことは知っているのだろうか。どちらとも取れる表情を見て、女子は嘘がうまいな、と思う。無表情でも涼矢のほうがずっと分かりやすい。そう思った瞬間に、カノンが「涼矢も、久しぶり。」と言ったから、和樹のほうがビクッとしてしまう。
「久しぶり。」
「N大だっけ。」
「うん。」
「N大って、うちの高校から何人か行ってるはずなのに、全然聞かないわね、涼矢の話。」
そんな台詞を聞いて、和樹は人知れず安堵した。涼矢から聞いている限りでは、哲と涼矢は大学で「優秀だが、変わった奴」として認識されているようだった。それはある種の特権意識でもある、と涼矢は語ったことがあるけれども、本質的には目立つのは嫌いなはずの涼矢だ。キャンパス中からそんな形で注目されているとしたら、いつか大学は涼矢にとって居心地の良い場所ではなくなってしまうのではないだろうか。人一倍学業には熱心なはずの涼矢が、そんな状況に追い込まれるとしたら。……その想像は和樹にとって心痛むものだった。でも、カノンの今の言葉が本当なら、涼矢は、彼を見知っている人の間では多少有名でも、不本意に目立っているというわけではなさそうだ。
「学生多いから、学部が違えばほとんど会わないよ。」
「何学部?」
「法学部。」
「涼矢らしいな。」そう言ってカノンは笑う。
「これ、誰待ち?」と和樹は柳瀬に聞いた。待ち合わせ時間を少し過ぎて、その場には柳瀬とカノンの他に、卒業式後にも一緒にここに来た宮野や矢島、ミナミとマキ、それから、前回は参加していなかったメンツも3人ほどいた。彼らが2人の関係を知っているかどうかは知る由もない。
「あと、三輪田 と津々井だな。」
津々井奏多の名前を聞いて、和樹は顔色を変える。「クラス違うじゃん。」
「そうだけど、仲良かっただろ、都倉と?」確かに三輪田も奏多も水泳部で、仲は良かった。少なくとも在学中は涼矢よりもはるかに親しくしていた。
「俺のために呼んでくれちゃったわけ?」
「そういうんでもないけど。三輪田と俺、今、同じ予備校なんだよ。それで誘ったら、そっから津々井も誘おうってことになって。」
「あっそ。」
「だめだった?」
「いや、別に、いいけどさ。」チラリと涼矢を見た。涼矢はまだカノンと話しているようだ。正確には、カノンが一方的に話しかけているように見えた。
奏多が来る、ということを知らせたほうがいいのか。迷っているうちにカノンの声が響いた。「お揃いなんだね。」その時に限ってどうしてだか誰もしゃべっておらず、シンとしていたから、和樹以外の耳にも入った。
「ああ、うん。」という、ぶっきらぼうな涼矢の声。普段なら誰も気に留めないはずの、ぼそぼそとしたその返事もまた、その場にいた全員に届く。
「何がお揃い?」と言ったのは宮野だ。こんな時だけしゃしゃり出てくる。
「あ。」気まずそうにしたのはカノンだった。それと同時に、和樹は、柳瀬の視線が和樹と涼矢の耳元を素早く行き来していることに気づく。柳瀬は涼矢と自分が同時にピアスを開けたのを知っているから、いちはやくそのことだと察したのだろう。
そんな中で、涼矢は平然と耳たぶを摘まんでみせた。「これ。」
「え、ピアス?」宮野はきょとんとする。しばらくしてから、和樹を見た。「わ、本当だ。」
「いいの?」小声でカノンが言った。「あんたたちのこと、知らない子もいるんだよ?」
「うん、いいんだ。」涼矢が静かに答える。カノンが本当にいいのかと言いたげに、今度は和樹を見た。和樹は頷いた。
「まだ、続いてるんだ。」とカノンが言う。
「まあね。」と涼矢。
「すごいね。」
「すごくはないけど。」
「私なんか、大学入って今、3人目。」
「モテるね。」
「1人と長続きするほうがいいに決まってるじゃない。」カノンは苦笑いした。
宮野がカノンに何か言おうとした時に、柳瀬が声を上げた。「お、やっと来た。」
遠目に奏多と三輪田の姿が見えて、和樹は慌てて涼矢を見る。特に動揺はしていないようだ。――なんだよ、涼矢のほうがよっぽど落ち着いてるじゃねえか。
「悪ぃ、俺が寝坊した。」と三輪田が言う。三輪田英司 。水泳部の仲間内では、そのまま、英司、と呼ばれていた。
「よーし、全員揃ったな。」と柳瀬が言い、ぞろぞろと入場した。
「よっ。」奏多はまず涼矢に話しかけた。そのせいで和樹は英司と話すことになったが、涼矢と奏多の会話のほうが気になって仕方がなかった。
「エミリの話、聞いた?」と奏多が言う。
「ああ、海外行ってるって?」涼矢は至って普通に答えている。
「そうそう。」
「奏多は大学でも水泳続けてんの?」
「いや、高校の夏合宿で後輩指導したっきりだな。おまえは?」
「全然。」
「だよな、だいぶ細くなって。」
「奏多はデカくなってないか?」
「単に太ったんだよ。」そう言って笑う奏多。英司と上の空の会話を続けながら、和樹はそんな会話を盗み聞く。「今日は、英司に誘われたんだ。」
「ふうん。」
「本当に、久しぶりだな。もっと頻繁に会うと思ってたけど、合宿にも来なかったし。」
「夏は免許取りに行ったりしてて。」
「そうか。」
「うん。」
奏多が聞きたいのはそういうことじゃない。和樹のほうに漏れ聞こえてくる会話からでも、それは分かった。
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