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第467話 凍蝶(16)
「でも、前よりかは明るくなったじゃん。」宮野のその言葉に、涼矢は無言で、ただうっすらと笑った。それを見た宮野は冷やかす口調で言う。「ほらな、前だったら、こういうこと言うと絶対すっげえ露骨に嫌ぁな顔してたはず。都倉ちゃんのおかげだな。」
「なになに、俺の話?」和樹がついにこちらの話の輪に入ってきた。涼矢は人知れず緊張する。
「気がついてる?」宮野はへらへらと笑いながら和樹に言った。以前はそんな風に笑うたびに貧乏ゆすりをして、天然パーマの髪がふわふわと揺れていたものだが、今日は随分と短くしているからふわふわはしない。
「何が?」和樹が聞き返す。
「今日、カップル参加はきみたちだけ。」
「あら、そう?」和樹はわざと素っ頓狂な声を上げて、辺りを見渡した。「それはそれは。」
「そう、それよ。」マキも乱入してくる。「私ね、都倉くんに言いたいことが。」
「ああ、そんなこと言ってたね。何?」
マキは身を屈めて、和樹を手招きした。内緒話の誘いということなのだろうが、逆に目立つ。和樹は抵抗を感じながらも、マキに顔を寄せた。
「私の好きな体位は、正常位。」マキはごく小声で言った。
「……はい?」和樹は思わず屈めた体をのけぞらせて、ますます皆の注目を浴びる羽目になった。涼矢ですら目を丸くしてそれを見ている。慌ててもう一度マキと顔を近づけた。「何言ってんの、急に。」
「それ教えたら、教えてくれるって言ったじゃない。2人の関係がどこまで進んだか。」
「何それ、そんなこと言ってな……。」言いかけて、和樹は思い出した。前回、ここでその場にいた10人程度のクラスメートに涼矢との交際を告白した。その時、キスしたのか、その先のこともしたのかとマキが聞いてきて、それを黙らせるためにわざと「だったらマキの好きな体位は何か」などとセクハラ質問をぶつけてやったのだ。案の定マキは自分の言葉の不躾さに気付いて黙り、その後、謝ってきた。それで話は終わったはずだった。「あれはそういう意味じゃねえよ。」和樹は困惑しながら言った。
「ずるい、私、言ったのに。」
「あのねえ。」和樹は頭を抱えた。そして、周囲がシンと静まり返っていることに気づく。自分とマキの会話をみんなが気にしているのだろう。「そういうのは事務所を通して下さい。」和樹は適当に誤魔化して、空になったトレイのほうに向きなおった。
「ひどーい。」マキも上半身を起こして、普通の声量で言う。
「どしたの、マキちゃん。」少し離れた席から宮野が言う。
マキは和樹を思い切り指差して言う。「私の秘密だけ聞き出しておいて、自分は教えてくれない。」
「ちが、違うだろ、それは。」和樹は言い返す。
「マキちゃんの秘密って何。」と宮野。
「それは秘密よ。」
「で、都倉の何を知りたいの?」
「バカ、宮野、おまえは関係ないだろ。」和樹は宮野を睨んだ。
「こっわあ。都倉くんこっわあ。」宮野がわざとふざける。「田崎ぃ、助けてぇ。」
「やだ。」今度は真顔のまま涼矢が言う。
「即答かよ。」
そんな宮野を放置して、涼矢は和樹のほうを向いた。正確には、その更に向こうにいるマキを見た。「何? 何が聞きたいの? どうせ俺らのことなんだろ?」
「いいって。」和樹が小声で涼矢を制した。
「ここじゃ、ちょっとね。」マキは気まずさを誤魔化すように薄笑いを浮かべた。
「ここで聞いてただろ。」
「だって、今はみんなが注目してるし……。」薄笑いでは誤魔化せなかったからか、今度は上目遣いで媚びを売るような表情を浮かべたが、涼矢にとっては逆効果だった。
「今言えないなら、一生黙ってて。」涼矢は冷たくそう言い放つと、コップに残っていた水を飲み干し、立ち上がった。それから空いた食器の乗っているトレイを手にして、テーブルを離れる。和樹はそれを追うべきかどうか迷ったが、結局その場に残った。
「マジで怒ってんな。」と宮野が呟いた。
「よっぽどのことじゃないとあそこまで怒らないけどね。」と柳瀬が言った。
「もう、都倉くんが。」マキが唇を尖らせる。
「はあ?」さすがに呆れてしまう和樹だった。「マキちゃん、それはないよね。明らかにきみの、デリカシーのない質問がきっかけだろ?」
「えぇ、私が悪いのぉ?」
「そうでしょうよ。」
「すっげぇ、気になる。その、デリカシーのない質問っての。何、エロい話?」宮野がまた口を挟む。
宮野にも文句を言いたくなって口を開くと、涼矢が戻ってきた。元の席に向かう涼矢が、ちょうどマキの背後を通るタイミングで和樹は言う。「なあ、涼。」
「は?」涼矢は立ち止まり、眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに返事をした。涼、などと人前で呼ばれたことはない。
「マキちゃんがね、俺らがどこまで進んだのか知りたいんだって。ちなみにマキちゃんの好きな体位はねえ。」
「ちょっ、嘘っ、やめてよっ!!」マキは腰を浮かせて本気で抗議した。「分かったわよ、いいよ、もう。」
涼矢はマキのつむじを見下ろせる位置から言った。「俺の好きな体位は立ちバック。これで満足か?」
元々マキと宮野以外は騒いでもいなかったが、更にシンと静まり返った。その次に聞こえた音は和樹の笑い声だ。「あー、俺、騎乗位が好きだわ。」
一拍置いて、柳瀬も吹き出した。「俺は基本の正常位かなあ。」
「おまえはそんなことしてねえで勉強しろよ、浪人生。」と涼矢が言った。
「溜まってたら勉強にも集中できないじゃん。」
「くそっ、俺も参加してぇ。」と宮野がテーブルを両手で叩く。
「頑張れ、童貞。」和樹がからかう。そして、おもむろにマキの方を向き直った。「……ということです、マキさん。ご満足いただけましたか?」それから周りで聞いていた面々を見渡す。「みんなには変なこと聞かせて悪かったね、ごめん。」
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