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第479話 凍蝶(28)
そんなカノンや柳瀬の話を聞いて、和樹はどこか安堵していた。表面上は仲良くしている女の子同士でも、おちゃらけているように見える柳瀬と宮野のような間柄でも、裏ではいろんなトラブルがあり、負の感情でもつれあっている。そうなのだとしたら、今日のできごと――マキとの攻防はもちろん、奏多や英司の反応、すっきりと腑に落ちることのないままの彼らの言動だってそれと変わらない。自分と涼矢が「特殊」なわけではない。そう言われているように思えたからだ。
そんな風に考えてしまってから、その考えを振り払おうとした。うまく行かないことにいくら落ち込むとしても、だからといって、似たようなことで苦しんでいる人、あるいは、もっとひどい目に遭ってる人を見てホッとするなんて。
「ね、さっきあんたたちが言ってた、危機的状況って何?」カノンが身を乗り出し気味にして言い出した。
「は?」和樹が半分顔を後ろに向ける。
「さっき、言ってたでしょ。危機があって、大雨の中、涼矢が車で和樹のところまで行ったって。」
「そんなこと言ったっけ。」和樹は覚えていたが、とぼけた。もちろんカノンはそんなことでは追及するのをやめなかった。
「いいじゃない、ブラックカノンとブラックヤナセの愚痴を聞いたんだから、ブラックカズキの話、聞かせてよ。」
「ブラックなのは和樹じゃなくて、俺のほう。」ずっと黙っていた涼矢が口を開いた。
「おい、余計な話、してくれるなよ。」和樹が苦笑いする。
「涼矢がブラック?」
「そう。俺が誤解を招く行動をして、和樹を悲しませた。だからそのフォローをするために東京に行った。以上。」
「誤解を招く行動って?」
「それは言えない。」
「そこが聞きたいのに。」
和樹は軽い口調で話し始めた。「カノンの彼氏が、クラスメートの女の子が終電逃したからって家に泊めてやったとしたらどう思う?って感じの話。もちろん、ただ泊めただけで、何もしてないとして。」
「何人もいて、雑魚寝ってことじゃないのね?」
「雑魚寝じゃなくて、1対1で、布団は別だけど、同じ部屋で。」
「それはだめよ。何もしてなくたって、異性を泊める時点でアウト。……あれ、でも、ちょっと待って? 涼矢の場合、それは男の子を泊めたってことになるの? あれ?」
「ああ、そこひっかかる? それは、うん、涼矢がムラムラしてもおかしくない相手ってことで。」
「その説明はどうにかならない?」涼矢が口を挟む。「あいつ相手にムラムラなんかしないし。」
「ヤレるって言ってただろ。」
「自分がフリーだったら、って話だろ。つか、そんな話ここでするんじゃねえよ。」
「ちょっと待ってよ。それ、つきあってもない人とでも、そういうことできるってこと?」
「そりゃそうなんじゃない?」と柳瀬が言う。「男なんてそんなもんよ、なあ?」
「そんなもんだ。」と和樹が言う。
「嘘ぉ。嫌だ、そんなの。」
「そうじゃなかったら、世の中、こんなに不倫ニュースが多いわけがない。」柳瀬が笑った。
「でもさ、結果としては何もしてないんだよ。」と和樹が言った。「エッチなことは何もしてない。それは事実だとして、そのことをわざわざご丁寧にカノンに報告したとしたら、どう?」
「えー、女の子を泊めたけど何もしてませんって? 彼が、私に? わざわざ?」
「そう。隠し事はしたくないという理屈で。」
「そんなこと言われたら、即、別れるわ。嘘つかれるのも嫌だけど、それはもっと嫌。そんなこと言えば、相手を傷つけるの、分かりきってるじゃない? ま、そもそもどんな理由があろうと、泊めるのがおかしいと思うわ。」
「だよねえ? つまり、そういう喧嘩。」
「そうなの? 涼矢?」
「そうだよ。」
「それについての、弁解や反論はないの?」
「ない。全面的に俺が悪い。……って分かったから、車を飛ばして謝りに行った。」
「なるほど。それはそのぐらいのことしてもらわなきゃね。いや、私だったらそれでも許さないかも。和樹、よく許したわね。」
「心が広いんだよ、俺。」和樹は笑う。
「まあ、和樹のほうも、今までの付き合い方を考えたら、そう威張れたもんじゃないだろうけど。」
「カノンさん、そういうのは勘弁してくださいよ。」
「涼矢もよ。エミリ泣かせて。」
「それは、悪かったとは思うけど、どうしたら良かったのかは今でも分かんないよ。」涼矢がボソリと答えた。
「もう少し分かりやすくしてほしかった。」
「何を。」
「和樹が好きって、エミリなんか眼中ないって、もっと、態度や言葉に出してくれればエミリだって期待しなかったのよ。それを、ずるずると、3年間も。」
「それは無理だろ。」と柳瀬が言う。「それができなかったのは……仕方ないだろ。」
車内がシンとなった。
しばらくの後、カノンが口を開く。「そうよね。それはつまり、私たちの側の問題なんだわ。」
「お、桐生ちゃん、真面目に語ろうとしてる?」
「茶化さないで。」カノンは柳瀬を横目で睨んだ。「……なんて、私だって言える立場じゃないんだけどさ。涼矢がそういう風に、自分の気持ちを出せなかったのは、そういう、周りの空気、雰囲気のせいよね。エミリが涼矢のことを好きだっていうのは、見る人が見れば分かったと思うの。あの子、そういうの隠すの上手じゃないから。で、知ってる子はみんな、エミリを応援してた。性格いいし、顔だって可愛いし、結構良い線行くんじゃないかなって思ってた。いっそこっちから告白しちゃえば?って背中を押したこともある。でも、涼矢の気持ちなんて考えてなかった。つきあうかどうかは別にしても、男なんだから可愛い女子に言い寄られれば喜ぶだろう、悪い気はしないだろう、そう信じて疑わなかった。でもきっと、そういうこと自体が……男はみんな可愛い女の子が好きっていう前提が、涼矢を黙らせていたんだよね。」
それに返事をする者は誰もいなかった。
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