480 / 1020

第480話 凍蝶(29)

 和樹は涼矢の横顔を見る。表情は読めない。そして、自分が浮かべている表情も想像できなかった。――カノンの言ったことは、おそらく正解なのだ。「ずるずると3年間も」片想いを引きずる羽目になったのはエミリばかりではない。涼矢自身もだ。しかも、エミリのようにそれを相談する相手もおらず、応援してくれる仲間も、その恋心に気づいてくれる人すらいなくて。涼矢をそこまで孤独にしたのは、カノンが今言ったように、「こちら側」の人間なんだろう。そして、そこには俺も含まれていた。 「誰かのせいだとは、思わないようにしてる。」涼矢が話し始めた。「俺がこういう風に生まれついたのは、誰かのせいじゃない。俺のせいでもないけれど、カノンのせいでも、柳瀬のせいでもない。」信号が赤に変わり、車を一時停止させた。エンジン音が静かになったところで、涼矢の声がさっきより聞き取りやすくなる。「でも、カノンや柳瀬にそういう風に言ってもらえるのは、誰かのおかげだと思ってる。たとえば、和樹の。」 「え、俺?」 「うん。前の時、誰かが言ってた。和樹が川島さんを振って俺を選んだんだとしたら、俺のスペックはすげえ高いんだろうって。もちろん冗談で言ったんだけど、そういう説得力っていうのはあると思う。あの都倉和樹がそう言うなら、納得せざるを得ない、というような。それって俺にとってはすごく重要で。」信号が青に変わり、再び走り出す。「和樹には言ったんだけど。」涼矢はミラー越しに後部座席の2人をチラッと見た。「俺はね、正直、理解してもらいたいなんて思ってないから。ただ、邪魔しないでほしい。放っておいてほしい。見て見ぬ振りでもしてりゃいいって思ってる。けど、そういうこと、俺が言っても、ただの感じ悪いホモってだけで。」 「そんなこと思わねえよ。」柳瀬が声を荒げる。 「でも、そう思う奴だっているんだよ。そのほうが多いよ。だから、和樹が必要だった。和樹はもっと上手に、ちゃんと相手の気持ちも尊重しながら、適度な距離を作ってくれるから。和樹が俺たちのことなら大丈夫です、お構いなくって言えば、みんなちゃんと納得して、そっとしておいてくれる。おまえらだってそうだろ。俺の相手が宮野だったら、今のセリフ言ってくれた? カノン。」  さっきまで真剣な面持ちで聞いていたカノンだったが、思わず吹き出した。「なんでそこで宮野なのよ。……まあ、宮野なら言わなかったと思うけど。どこがいいの?って問い詰めちゃう。」 「おまえがゲイでも何でもいいけど、あいつはやめとけって全力で止めるわ。」柳瀬は笑う。 「そうやって笑うけどさ。」涼矢は笑っていなかった。「でも、そういうことだよ。和樹だから、許されてることとか、認めてもらえることとか、たくさんあると思ってる。」 「つまりおまえは、自分が実に良い奴に惚れたなぁって言いたいのかよ。」柳瀬が言う。 「言っていいなら、言いたいね。」 「涼矢までノロケる気? バカップルもいいところね。」カノンが笑った。 「桐生ちゃんもノロケていいぜ?」と柳瀬がからかう。 「そう? だったら言わせてもらうけど、私の彼氏、超優しくてね、荷物だってぜーんぶ持ってくれるし、私に車道側を歩かせないし、レストランの良い席は私に座らせてくれるし、あと、歌がすごくうまくてね、カラオケでいっつも90点以上出すの。それから、髪型変えたらすぐ気が付いてくれる。うーん、まだ他にもあると思うんだけどなあ。」 「充分だろ。どんだけ自慢の彼氏だよ。よし、じゃあ俺も言うけど、ヒナはとにかく可愛いからな。俺、今あんまり相手してやれないのに、いつも頑張ってねって言ってくれるし、金もないから公園デートとかになっちゃうんだけど、そういうことに文句も言わないで、しかも弁当作ってきてくれたり。その弁当がまた、お花畑みたいにかぁいらしいのでさ。あ、あとな、裁縫得意なんだ。簡単な服なら自分で作れるらしい。来年は俺の浴衣を縫ってくれるって約束してくれて、それ着て花火大会に行こうって。」 「うっわ、女子力、高ーい。」とカノンが感心する。「……考えてみると、私、ここまで堂々とノロケたの初めて。なんか、楽しいね。」 「まぁ、宮野の前でやったらただの嫌味や自慢になっちゃうしな。ここは今、みんな相手いるから。」 「楽しそうで何より。」和樹が笑う。 「何よ、あんたが言いだしっぺでしょ。涼矢の眼鏡姿がカッコいいとか。」 「ああ、そうか。」和樹はまた涼矢の横顔を見る。「そうか。」 「しみじみしちゃって、改めてカッコいいなぁって思ってんの?」 「いや、そうじゃなくて。」和樹はミラーに映る背後の2人に語りかけるように言う。「俺さ、今日あんな偉そうな態度してたけど、正直言うと、涼矢のこと、おまえら以外にはほとんど言えてなくて。大学では、ノロケも何も、存在自体を隠してる。」 「……そうなの?」 「うん。だから、ちょっと、おまえらは良いよなって僻んでるとこあるよ。そういうの何も考えないで、彼氏や彼女のこと、ノロケもすれば、愚痴も言える。気楽だなって思ってた。けど、そうでもないんだよな。俺だってさ、綾乃とつきあってた時、ガンガン自慢してたかって言うとそんなことなかった。彼女、実際美人だったし、自慢しようと思えばいくらでもできたのに、誰かにそれを羨ましがられたら、でも気が強いとか、わがままなんだとかってわざと悪く言ったりしてさ。反対に、すげえくだらない喧嘩したことを愚痴ることもできなかった。一部では理想のカップルみたいに言われてたの知ってたし、見栄があったから。向こうもきっと同じでさ。そういうところから少しずつ、歯車がずれていったところもあったかもしれない。けど。」和樹は三度(みたび)、涼矢を見る。「涼矢は、そういうの、全然ない。誰の前でも、俺のこと悪く言わない。たぶん、俺がいないところでもそうなんだと思う。」 「確かに。」柳瀬は頷く。

ともだちにシェアしよう!