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第485話 Spectrum(5)

「言ったっけ、そんなこと。」涼矢は首に巻きつけているマフラーを口元まで上げて、顔を半分隠す。 「覚えてるくせに。」和樹はニヤリとする。「……で、本当にそうなった。」 「けど、まだ、記憶に残ってるじゃない?」 「そりゃ1年も経ってないからな。でも、もう、あの1日は小さなことにはなってる。会えない日のほうが多いし、そんなのいちいち気にしてたら身が持たない。でも、今の、こういう、めったに会えない時のことも、そのうち、あの頃は離れてたから大変だったよね、なんてさ、思い出話で話せるようになるのかなって思ったりする。」 「その思い出話する頃には、一緒にいるってこと?」マフラーからのぞく鼻が赤いのは、寒さのせいか、照れているのか。 「そうなんじゃない?」 「そっか……。」ふふ、とマフラーの中で笑う。 「何だよ。」と言いながら、和樹も照れ笑いをする。 「和樹には転勤のない仕事に就いてもらわないと、また遠距離になっちゃうな。」 「弁護士は転勤ないの?」 「基本的にはないよ。裁判官や検事のほうになると転勤族だけど。」 「ああ、お父さんがそれか。」 「うん。」涼矢はマフラーに隠れていた部分をまた出して、ふう、と小さく息を吐く。その息が白い。「でも、そんな理由で和樹の仕事を限定する気はないから。」 「え?」 「やりたい仕事とか就職したい会社を見つけた時にね、全国転勤とか海外勤務の可能性があるかもしれないじゃない? もしそうでも、俺のためにやめるなんてことはするなってこと。」 「そんな、全国だの海外だのって大企業に入れるかが怪しいよ。」和樹は苦笑した。 「分からないだろ、そんなの。」 「でも、離れ離れは嫌だなぁ。この4年だって気が重いのに。」 「そしたら、俺がついてくから。和樹の転勤先に。」 「マジで?」 「マジで。」 「涼矢がそんなこと言うの、意外。」 「なんで。」 「だって、佐江子さんたちだって別居だろ。それでうまく行ってるんだろ。そういう夫婦見てたら、遠距離なんか平気だって思ってるかと。」 「あの人たちだって、俺が生まれるまでは……て言うか、不妊治療を考えるまでは一緒に転々としてたよ。だから。」涼矢は少し黙り、次の言葉を探す。「今は大学卒業までって期限が切られてるから、遠距離でも大丈夫だよ。それまでの我慢だって思ってるから。でも、その先、いつまでって分からない中でそれはキツイ。こどもとか、そういう、確かな繋がりがあれば大丈夫かもしれない、でも、俺たちの場合は、そういうの、ないわけだし。」一言一言噛みしめるように言う。 「ホント、おまえって不思議。」 「え?」涼矢は和樹を振り向いた。 「俺のことストーカー並に追いかけて。嵐の中でも飛んできて。すごい情熱的な、ロマンチストかと思うと、全然そうじゃないのな?」 「自分がロマンチストだと思ったことはないね。」 「はは。」 「でも、夢って叶うんだなぁ、とは思ってるよ。」 「ん?」 「好きな人に好きって言ってもらえる。そんなの、一生叶わない夢だと思ってた。」 「謙虚だね。謙虚で、現実的。」 「臆病なんだよ。期待してガッカリしたくない。」 「俺とつきあってガッカリしてない? なーんだ、こんな奴だったのかって。」 「してないよ。するわけない。自分にはちょっとガッカリしてる。」 「どうして?」 「俺は、好きな人を泣かせたりしないって思ってたから。もし俺なんかが両想いになることができたら、それだけで奇跡なんだから、すっげえ大事にするんだって。そう思ってたのに。」  和樹は少しだけ涼矢の先を歩き、回り込むようにして涼矢を見た。「俺、大事にされてるよ。こんなに大事にされたこと、ないよ。」 「でも、泣かせたし。」 「そうだな。うん。泣いたなあ、あん時ゃ。涙は流さなかったけど、心の中じゃあ、大泣きしてたな。」 「俺、何やってんだろうって。」 「おまえだから泣いたんだ。」 「え?」 「あれが、元カノの浮気だったら、俺、腹は立てたと思うけど、泣かなかったよ。」涼矢は足を止める。和樹も2、3歩進んでから止まり、涼矢を振り返った。「おまえにも腹は立った。けど、それより、おまえがこのまま哲のところに行っちゃうんじゃないかって。それが怖くて泣いた。それが嫌で仕方なくて、別れたくなくて、おまえを離したくなくて、泣いた。」和樹は涼矢の手首をつかんだ。「もう泣かすんじゃねえぞ?」 「……うん。」 「そういうこと、お祈りしろよ、初詣は。俺らがこれからもうまく行きますようにって。」 「学業成就じゃだめ?」 「それは自力で行けるだろ。」 「俺たちのことだって、自力で頑張れるよ。つか、それこそ自力で頑張るべきことだろ。」  和樹は眉を上げ、目をぱちくりさせてから、笑った。そしてまた歩き出す。「涼矢くんの、そういうところ、尊敬する。」  涼矢も並んで歩く。「なんで。」 「自分がやらなきゃいけないことがはっきり見えてる。勉強でも、なんでも。俺はそういうの、楽な方に考えちゃうから。」

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