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第501話 Spectrum(21)

「さすがに俺もね、おまえ連れて、明日も同じプランでって、フロントの人に見られながら言いたくないわけ。それに確かこれ。」ぶつぶつ言いながら画面を操作する。「あ、やっぱりそうだ。ネット予約限定のプランなんだよ。逆にフロントじゃ申し込めない。」 「変なの。ここの予約を、ここでできないなんて。」 「変だよね。でも、そうやってフロントの手間をかけない分、サービスしますよってことなんだろ、ネット割引って。」 「なるほど。」 「明日、夕飯は、食っていける?」 「うん。」 「了解。」 「あ、でもホテルじゃなくていいよ。高いから。割勘でもそんな金ない。」 「分かってるよ。」涼矢は立ち上がり、和樹と向き合う。どちらからともなくぎゅっと抱き合って、キスをする。 「好き。」涼矢が言う。 「ん。」和樹は、涼矢の背中の手に回した手に力を込めた。「好きだよ。」  涼矢がふふ、と笑う。 「なんだよ、なんで笑うんだよ。」 「好きって言ってくれた。」 「いつも言ってるだろ。」 「俺が言うほうが絶対多い。」 「それは、そうかもしれないけど。」和樹は少しだけ唇をとがらせる。「たくさん言ってるほうがたくさん好きってわけじゃないから。」  涼矢の頬に赤みがさす。そして改めて、和樹を強く抱きしめた。「大好き。」 「はいはい、俺も大好き。」和樹は涼矢の背中をポンポンと叩く。赤ん坊を寝かしつける時のように。  涼矢はふう、とひとつ息を吐くと「行こうか。」と言った。 ――いつもだ。  自室のカーテンを開け、朝陽に目を細めて、涼矢は思う。  カウントダウンが始まって、刻一刻とその時が近づいて、その日が来る。たとえば今日。  和樹と過ごせる、最後の1日。  次に会えるのはいつ? 春休み? 和樹の誕生日、つまりバレンタインデーは一緒に過ごせるだろうか。そんなことを考える。そんな先の約束がしたいと言ったら重いのだろうか。それとも、そんな要求を言っても許されるのが恋人というものだろうか。判断できるほどの経験はない。  いつも、こうだ。最後の1日ぐらい、「明日からまた会えなくなること」ではなくて、「一緒にいる今のこと」を考えようと思う。しかし、ふいに不安がもたげてくる。……このまま会えなくなったらどうしよう。  約束なんかしなくたって大丈夫なんだ。そういうところまでたどりついたんだ、俺たちは。そう自分に言い聞かせて、気合を入れる。そうでもしないと、あの上京前夜のように崩れてしまいそうだ。和樹にたしなめられても、淋しい淋しいと訴えずにいられなかった。和樹を見送った後、泣きながら絵を描いた。画面がぼやけた。こんなんじゃだめだ、ちゃんと見て、仕上げるんだ。泣き崩れる俺じゃなくて、笑顔で送り出す俺を覚えていてもらうんだ。その一念で涙をこらえて、描き上げた。  別れの朝は、たとえそれが未来永劫の別れではないと分かっていても、慣れることはない。 ――泣き貯めができればいいのに。そうすれば、今のうちにうんと泣いておくのに。そうして、和樹に会う時には笑って過ごして、別れの瞬間はまたねと気軽に手を振って見送れるのに。いいや、だめだ。そんな風に泣いたら腫れぼったいまぶたでバレバレだ。やっぱり泣けない。  昼過ぎに涼矢は和樹の住むマンションの下に車を寄せ、待っていた。程なくして和樹が来る。車は走り出す。どこか寄りたいところは?という涼矢の質問に、和樹は特にないと素っ気なく答え、それきり2人は押し黙る。  和樹も同じなのだろう。もっと笑って過ごしたい。けれど口を開けば泣き言しか出て来なさそうで、そんなみっともない真似できるかと唇を噛みしめ、2人して別の方向を見ている。  ホテルの駐車場に着いて、どうしてだか涼矢は眼鏡をかけた。 「なんで?」そこでようやく和樹が口を開いた。 「変装。なんか、あいつらまた来たって思われたくない。」  和樹は笑う。「覚えてないよ。覚えていたとしたら、そのぐらいの変装じゃ見破るって。」 「じゃあ、これも。」涼矢はマスクも出して、つけた。和樹は笑う。 「怪しいって。」  そんなくだらない会話でも良かった。和樹が笑ったから。涼矢はマスクの下でまた唇を噛む。  2人は車を降り、フロントに向かう。 「1時から5時、なんだっけ。」と和樹が尋ねた。ホテルに滞在できる時間のことだ。 「うん。」  前日はチェックインが遅くチェックアウトが早かった。その分、滞在時間をフルには使えなかった。 「短いな。」今日はフルに使えるはずだ。それでも和樹はそう呟いた。 「うん。……一泊に変更する?」涼矢は和樹を振り返る。眼鏡とマスクで、それが冗談かどうか表情が分からず、和樹には判断できなかった。 「任せるよ。」和樹は言う。  涼矢の眉がピクリとした。「何それ。」ずい、と和樹に一歩寄る。ホテルのロビーだ。人目はある。涼矢がそんな場所でそんな行動をするのは珍しい。"変装"で気が大きくなっているのか。「本当にそうするよ?」 「嘘だよ、ごめん。泊まりは無理。」  涼矢は返事をせずにチェックインをしに行った。涼矢の冗談に冗談で返したつもりの和樹だったが、今の涼矢の様子からして、涼矢のほうは冗談ではなかったのか。

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