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第507話 彼と彼(1)
「またあいつは、もう。親に心配かけて。」和樹は知った風な口を利いた。かと思うと「でも、仕方ないか。あいつの事情じゃあな。」と心配そうに言ったりもする。更に「哲ってさ。」と続ける。
涼矢としては哲の話題は極力避けたいところだったが、この状況ではそういうわけにもいかない。「哲が、何?」
「義理のお父さんのこと、まだ好きなのかな。倉田さんとはもう、だめなのかな。」
「さあな。」涼矢は素っ気なく答えた。そのほかにも、和樹の知らない、もうひとつの恋がある。クリスマスに哲からされた告白。あれがどこまで本気なのか分からないが、嘘や冗談とも思えなかった。
「今は、誰かとつきあってないの? そういう話、聞いてない?」
「聞かないね。空いた時間はバイトばかりしてるみたい。」
「ふうん。」
「で、行くの? 本当に?」
「嫌ならいいよ。」
「……まあ、他に行くところもないしな。」
涼矢はアリスの店へとハンドルを切った。
駐車場に車を置いて、歩いて店に向かう。灯りは点いていないし、営業中の看板も出ていない。ドアには7日から営業と書いてあった。試しにドアノブを回すと、鍵がかけられている。哲に電話しようとスマホを手にした時、内側からドアが開いた。
「よ。」哲が顔をのぞかせた。
「いいの?」
「うん、いいよ。他にも常連さん何人か来てるし。」哲がドアを押さえてくれ、2人は店に入った。「都倉くん、久しぶり。あけおめー。」
「おめでとさん。」和樹は曖昧に笑う。
「こっち、この席、どうぞ。」哲に案内されたのは、一番奥まったテーブル席だ。和樹は店内をぐるりと見回す。外観から想像していたよりも広くて、そして、普通のレストランだった。
「こんにちは、いらっしゃい。」アリスが登場した。今日はオフバージョンらしく、女装はしていない。「この店やってるアリスです。和樹くんね。お噂はかねがね。」アリスはにっこりと笑う。
「初めまして。……あの、噂って、誰から、俺のこと。」
「宏樹くんは大学の後輩だし、涼矢くんのママとは古い友達だし、それに哲ちゃんよね。肝心の涼矢くんは何も教えてくれないけど。」
「うわ……。」和樹は作り笑顔もうまくできなかった。
「今日はいろいろお話したいわ。」アリスは口調こそ優しいが、腕組みをしており、ソファ席に座っている和樹を威嚇しているような迫力だ。
「は、はあ。」
助け舟のつもりか、涼矢が割って入った。「今日、本当は店、休みなんですよね?」
「そうよ。でも、1人暮らしで実家もないような人もいるでしょ。お正月1人なんて淋しいじゃない? だから、そういう人が来たら、お雑煮ぐらいふるまうことにしてるのよ。」
「お雑煮か。よかったな。家で食べてないんだろ?」と和樹が涼矢に言った。
「何、さっちゃんたらお雑煮も作らないの?」
「作らないです。」
「もう。……白みそ仕立てに丸餅の関西風と、すましに焼き餅の関東風、2種類あるの。どっちがいい? 両方食べてみる?」
「あ、じゃあ両方。」
「和樹くんも?」
「はい。」
「分かったわ。」アリスはその場を立ち去って行く。
くねくねと歩くその後ろ姿を見つめて、和樹は言う。「あの人って、ええと、オネエな人?」
「店やってる時はドレス着てる。けど、ビジネス女装らしい。結婚してるし、子供いるし。孫までいる。」
「へ、へえ。」
「……哲、今、あの人の世話になってる。」
和樹は目を見開いた。さっきアリスが消えた厨房の入り口に目をやる。だが、バーカウンターに座る客が見えるばかりで、アリスも哲も見えない。
「世話って言っても、前の暴力店長みたいな関係じゃなくて。なんだろうな。下宿人みたいな扱いなのかな。」
「叔父さんのところに住んでるんじゃなかった?」
「そのはずだったけど、こっちのほうが居心地いいみたいで。」
「それで、帰省もしないで、ここでバイトしてんの?」
「うん。」
そう言っている矢先に、哲が何やら運んできた。「ウーロン茶とオレンジジュース、どっちがいい? 俺の奢り。」
「コーラもある。」涼矢が言う。哲の手にしたトレイの上にはグラスが3つ乗っていた。
「これは俺のだもん。」哲は涼矢に確認せずにウーロン茶を置き、オレンジジュースを和樹の前に置いた。更にコーラを涼矢の隣に置いて、その席にちょこんと座った。
「なんだよ、何座ってんだよ。」涼矢は哲を咎めた。
「今日はバイトじゃないの。ただのお手伝い。」
「そんなの、ここに座っていい理由にならないだろ。」
「ひっどいなぁ、いいじゃんよ。」哲はストローを使わずにグラスから直接コーラを飲んだ。
「なあ、あの店長さんのところに下宿してるって本当?」和樹が言った。
「んー。まぁ、実質そうだね。」グラスを持ちあげたまま、横目で涼矢を見た。「田崎が言ったの?」
「ああ。俺もよく分かってねえけど。叔父さんちはどうなってるの。完全に引きはらったわけ?」
「気になる? 俺のこと。」ニヤニヤしながら哲が言う。
「紹介した手前、アリスさんに迷惑かけられると困るんで。」
「ちぇ。」と言いつつ、哲は上機嫌だ。「おまえのほうがよっぽど迷惑かけてるっつーの。無銭飲食ばっかりしちゃって。」
「金は。」佐江子のツケにしているだけで、無銭飲食した覚えはない。そう言いたいが、そうだとしても、自力でバイトしている和樹と哲に威張って言えることでもない。そう思うとその先の言葉が続かなかった。
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