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第512話 彼と彼(6)
「手ぇ出すなよ。」涼矢が言う。
「あのねえ。俺だって誰でもいいわけじゃないの。」
「じゃあ、どういう人が好きなんだ?」和樹が言った。哲は意外そうに目を丸くして和樹を見る。和樹はウーロン茶を一口飲んだ。「年上の社会人で、一見、真面目で優しそうな人?」
それが倉田を、更には義理の父親を指していることは、涼矢にも哲にも分かる。
「そう、だな。そうかも。」哲は笑って、それから和樹の隣に座った。和樹を真ん中にして、涼矢と3人並ぶ形だ。店内にいた最後の客はさっき会計を済ませ、和樹たちだけが残っている。アリスは客のいなくなったテーブルを拭いている。
「でも、誰でもいいって思ってたこともあるよ。」和樹を下から覗きこむようにして、哲が言った。
「魔性の哲ちゃんなのに? モテモテだったら、誰でもいいなんて言わずに、相手を選べるだろ。」
「モテるけどさ、本気で好きになった人からは好かれないのよ。」哲はスツールを90度回転させ、完全に和樹の側を向いた。片肘をテーブルに載せてもたれかかる。「分かる? かわいそうだろ? 俺って。」
「どこが。」
「だから、思う人には思われぬってところ。あと都倉くんみたいにルックス良くないし、育ちも悪いし、金はないし、彼氏いないし。」
「頭いいだろ。」
「へ?」
「首席なんだろ。」
「入試の時だけだよ。まぐれ。」
「それに、彼氏いなくたって、困った時には助けてくれる人いるだろ。アリスさんや、あと倉田さんだって考えようによっちゃそうだったと思うし、……涼矢だって。」
哲は顔だけを振り向かせて、後ろの涼矢を見た。「そうなの? おまえ、俺が困った時、助けてくれんの?」
涼矢が答える前に和樹が強い口調で言った。「だって、そうだろ。そうだったろ。」そう大きな声ではなかったが、他の客のざわめきのない中でその声は響き、テーブル席の椅子の配置を直していたアリスの動きが止まった。
アリスは和樹に「喧嘩はだめよ。」と穏やかに言った。和樹は気まずそうに小さく頷いた。
哲は涼矢から和樹に視線を戻した。「助けた覚えはあるけど、助けてもらった覚えはないよ?」
「な……だって、おまえが変なこと言うから、涼矢は、同情して、おまえのために。」
「同情はしただろうね。それは都倉くんだって同じでしょ? だから、きみたちは仲直りできたんでしょ? 2人して俺をかわいそうがって、だから一晩中抱き合って寝るぐらいは仕方ないねってことにしたんでしょ?」
涼矢が突然立ち上がった。そして数歩歩いて和樹の腕をつかんだ。「帰るぞ。」有無を言わせず腕を引っ張り、そのせいで、和樹は引きずりおろされるようにしてスツールから降りた。
「はい、ありがとうございましたぁ。今日の分はいつも通り、お母様のツケにしとくね。」
「いくらだよ。今ここで現金で払う。」
「計算すんの、めんどいなあ。」今度は哲がのろのろとスツールから降りる。「店長、この2人の今日の雑煮とカレー、いくらでつければいいですかぁ? 飲み物は俺の奢りなんで。」とアリスに向かって言った。
「哲ちゃん、いいかげんになさい。聞き苦しい。」アリスは哲を一瞥すると、涼矢と和樹を交互に見た。「いいわよ、今日は。賄いみたいなもので、お客様にお出しするような内容じゃないから。」
「でも、他のお客さんは払ってたみたいだし、払いますよ。」そう言ったのは和樹だ。
「あの人たちはお酒も飲んでるし。」アリスは再び哲を睨む。「それに、うちのスタッフが失礼なことをしたみたいだから、お代はいただけません。」
哲はすねたように斜め下を見ながら言った。「俺、失礼なことなんかしてないし。」
アリスは大きなため息をついた。「ねえ、哲ちゃん。優しくされたいなら優しくしなきゃだめなのよ?」
「優しくしてるでしょ。飲み物まで奢ってやってさ。本当に、俺のバイト代から引いてもらっていいんで。」
「じゃあ100万円だわ。1人50万円で2人分よ。あなたのお給料から100万円引くわよ。何年かかっても。」
「何言ってるんですか、店長。ありえないでしょ、そんなの。ぼったくりバーじゃないんだから。」
「六三四が昔いた店だったらそんなの当たり前だったわ。そうやって背負った借金、私が返したわ。」
「こう言っちゃなんですけど、息子のした不始末を親が尻拭いするのと一緒にされても困ります。」哲は苛々と貧乏ゆすりをする。そして、しきりに腕をさすった。
「だったらいいわ、哲ちゃんの借金100万円も私がチャラにしてあげる。」
「は? 何ですか、その理屈。」
「だってあなた、今じゃ私の息子同然だもの。」
「いや、そういう話じゃなくて。そもそも100万の借金とかおかしいでしょ。」
「何よ、今いいところだったのに。息子も同じって言ってあげたのよ? もっと感動しなさいよ。」
「言ってあげたとか、そんな上からで言われたって嬉しくとも何ともないですよ。それに、本物の娘も息子も孫もいるんだから、俺なんかどうでも。」
「こら、それ約束したよね。俺なんかって言うの禁止って。」
「そんな約束してんの?」と和樹が言った。すっかりその存在を忘れていたかのようにポカンとした表情で、哲は和樹を見た。
「……ああ。ここでバイトして、すぐの頃。初めてアリスさん家に泊まった時、かな。」
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