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第514話 彼と彼(8)

「和樹。」正面を向いたまま涼矢が言う。 「ん?」 「誕生日さ、何が欲しいか、考えておいて。会えなかったとしても、送れるものなら送るし。」 「そういうのってサプライズでするんじゃないの。」 「どうせなら欲しいものが欲しいだろ。」 「……おまえ、食器、喜んでくれてたんじゃなかったの。」 「誕生日の? もちろんすっげえ嬉しかった。」 「だろ?」 「だって、あれは俺が喜びそうなものを考えてくれたんだなって、分かったし。」 「だから、そういうもんだろ? 相手のためにあーだこーだ考える時間も込みでプレゼントだろ。」 「……ああ。なるほど。」信号が赤になり、停車する。涼矢は和樹を見た。「でも、もし俺がおまえのためにって考えたら、ごちゃごちゃ迷った挙句に、最終的に米とか送っちゃいそう。」  和樹は吹き出した。「できれば無洗米でお願いします。」 「じゃあさ、今までもらったもので、何が一番嬉しかった?」 「元カノからの?」 「そう。」 「聞いちゃう? そういうこと。」 「だって被りたくない。」 「被らねえよ、米は。」 「そしたら、本当に米にするぞ。」 「ありがたいけど要らねえわ。……嬉しかったもの、かぁ。なんだろな。」和樹は考え込む。 「手編みのマフラーは? もらったことあるんじゃないの?」 「ああ、あったね。でも、手編みって毛糸だろ。俺、首の回りチクチクするの苦手でさ。デートの時に一度はつけたけど、それきりだな。」 「嬉しいことは嬉しい?」 「まあね。でも……あ、そうだ。」 「ん?」 「財布。ブランドもんの。それは結構嬉しかったな。それまでのが安っちい奴だったから。」 「ひょっとして、今も使ってる?」 「あ。」 「使ってるんだ。あれか、黒の、革の。」 「うん、まあ。おまえが嫌だっていうなら、もう使わない。」 「別にいいよ。物に罪はない。」  和樹は黒革の財布を取り出してみた。「こうして見ると結構くたびれてるな。」 「それなら誕プレ、新しい財布にする?」 「米以外、思いつくものがなかった時には、それでもいいよ。」 「分かった。米だったらコシヒカリでいいか。あきたこまちか。」 「……財布にして。」 「了解。」  そんな会話に意味などなかった。窓の外の景色がどんどん和樹の家に近づいていくのを意識したくないだけだった。涼矢にとってはもう一つ、さっきの哲との件を和樹の頭から消し去ってしまいたい、という意図もあったけれど。  それでも和樹の実家のマンションが見えてきた。  どちらからともなく、ため息をついた。  涼矢はマンションの少し手前に車を停めた。「明日、見送りもできないのは、ちょっと、辛いけど。」明日は父親が送って行ってくれるのだと、和樹が言っていた。 「うん。ごめんね。」 「いいよ。……また、行くからさ。夏になる前に、一度ぐらいは。」 「うん。」ここまで来てしまうと、近所の人の目も気にしないわけにはいかない。和樹は涼矢の指先にそっと触れた。涼矢がそれに自分の指を絡めた。 「ちゃんとメシ食って、夜は寝て、朝は起きて。」真面目な顔で、涼矢が言った。 「おまえこそ、メシ、ちゃんと食えよ。」 「はは、そうだった。」 「電話して。」 「うん。」 「あと……は、特にないか。」 「ないのかよ。」涼矢は笑う。 「じゃあ、そうだな、たまには電話エッチもしよう。な?」 「もちろん、いつでも歓迎。」涼矢は和樹の手を取り、口元に寄せ、その甲にキスをした。「俺は王子様の下僕ですから。」 「バーカ。」和樹はその手をほどいて、涼矢の頬を撫でる。「好き。」 「うん。」涼矢の口元が歪む。笑おうとして、笑えない。「好きだよ。」 「じゃあ、行くね。」 「ああ。」  和樹は車を降り、歩道に上がった時だけ涼矢を振り向いて、手を振った。そこから先は振り向くことなく、マンションへと吸い込まれていった。  涼矢は帰宅してすぐ、自室に籠もった。そして、和樹といくつかのメッセージをやりとりした。「おやすみ」と最後に入力した。翌日も似たようなものだった。「おはよう」をお互い送り合い、和樹からは無事に新幹線に乗り、予定通りに東京のアパートに辿り着いた連絡も来た。そういった事務連絡以外にも、共通の友人の誰それから年賀状が届いていた、うっかりトイレの明かりをつけっぱなしのまま出てきてしまったようで、電気代がもったいなかった、そんな雑談もした。  それでも、涼矢は淋しいと思った。  翌日になればその淋しさもましになるかと思ったけれど、変わらなかった。むしろ和樹のいない違和感ばかりが募った。  和樹の部屋で過ごした夏。半月ほども滞在して、それでも最後まで、2人で過ごす毎日に慣れることはなかった。毎朝の「おはよう」は、2日目でも3日目でも帰る日の朝でも、飽きることなく、心浮き立つものだった。  それでいて、慣れているはずの和樹のいない日々もまた、しっくり来ない。  和樹と過ごした日々を、何度も反芻せずにはいられない。

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