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第522話 Bitter & Sweet (7)
「そんなことないと言えないのが悔しい。……あ、でも最近は六三四がいる。」
「そっか。」涼矢は笑った。「もう俺だけが友達じゃないのか。」
「いや、むしろ、六三四こそ真の友達だな。」
「そうなのかよ?」
「だってさ、六三四は全然まったく俺の好みじゃないし、妻子持ちだし、おまえみたいに、友達だと思ってたけど、結局好きになっちゃったってことにはならない。でも一緒にいて楽しいから。」
「楽しい?」涼矢は六三四の刺青を思い出す。言葉数も少ない印象で、「楽しい」イメージとは程遠い。
「うん。あんな見た目だけど、全然怖くないよ。子煩悩で奥さんの尻に敷かれてて。いいパパやってるよ、家では。」
「どんなこと話すの、彼と。おまえとの共通の話題が想像つかない。」
「んー。だいたいは百 の話。あと、アリスさん……つぅか、わけわかんない親を持つと苦労するよねって話。」
「ああ、アリスさん、いい人だけど……あれが自分の親父だったら、ちょっとキツイよな。」
「そういうこと。あと、お母さんもさ。外国の人だから。」
「台湾の人だっけ?」
「あ、知ってた?」
「うん、ちらりと聞いた。再婚相手だろ。」
「そう。そんなんでさ。まぁ、なんとなく共通点はあるわけだよ、俺と六三四も。おまえとは違う意味で。」
「そうか。」
「あいつは家でもそんなにしゃべらないから、トークが盛り上がるってわけじゃないけどね。」
「えっと、もう1人、おまえが勉強教えてる兄貴がいたよな?」
「ああ、三七十 ?」
「彼はどうなの? うまくやれてんの?」
「うん、普通の人だよ。でも、そこが普通じゃない気もする。」
「ん?」
「女装した父親と、あやうく前科がつきそうだった弟と暮らしてるんだよ? 母親は日本語が拙くて、父親違いの姉と腹違いの姉が、独立するだの妊娠しただの夫が海外赴任だから戻ってきただのって入れ代わり立ち代わりでさ。そんな家庭環境で育って平凡でいられるってのは、普通じゃなくない?」
「言われてみれば……。」
「アリスさんとこに泊まる時は、三七十の部屋が二段ベッドだから、そこで寝かせてもらってる。けど、生活サイクルが違うから、週末、俺と勉強する時以外は顔も合わせないんだよ。勉強の時も雑談はほとんどないし、何考えてるか分からないとこある。あれはあれでどっか壊れてるんだろうなぁって思う。」
涼矢はアリスの包容力のある笑顔を思い浮かべていた。得意気に波乱万丈の人生を語る力強い人。落ち込む涼矢にうどんを用意してくれる優しい人。哲を含めて、正月でも帰る場所のない人々は誰でもおいでと手招きするような寛容な人。彼の家庭は、さぞかし笑いの絶えない、騒々しいぐらいの大家族なのだろうと思っていた。
「そう、か。」
「もちろん、基本的には仲良いよ、みんな。助け合って、いたわりあってる、いい家族。俺はこういう家に生まれたかったんだなって、やっと具体的に想像できるようになった。」
「え。」
「家庭って内部に入り込まないと分かんないじゃん。赤の他人が実情を知ろうと思ったら、家政婦にでもなるしかない。自分の育った家庭がおかしいのは分かっても、じゃあどうすればいいのか、っていう、モデルがなかった。それがね、最近やっと分かってきてさ。特に百を見てると分かる。みんなはこうやって育てられてきたのかって。……だから俺、今、1歳児をやり直してんだよ。」
「なるほど。」
「んで、たぶん、恋愛よりこっちのほうが先決なんだろうって気がしてる。」
「それがあの、おまえのベースの話?」
「そう。」
涼矢は考え込む。哲を昔の自分と重ねていた。無力で孤独なかわいそうなこども。だが、哲の今の話を聞いていると、思っていた以上に生い立ちの差を感じてしまう。愛してくれる親がいながらも孤独だった自分のほうが、もっと「かわいそう」な気さえしていたけれど、やはり哲の悲劇と比べたら、薄っぺらい、甘いものでしかないと思う。そう思ってから、「かわいそう」比べをしたところで意味なんかないのに、と思う。
「本当に1歳だったらいいのにな。」と涼矢は呟く。
「え?」哲は何を言い出すんだと呆れた笑顔で聞き返した。
「おまえが本当に1歳で、アリスさんの家のこどもで、あの家族に育ててもらえればよかったな。そしたらおまえは、手を切る必要もなかったし、殴られることもなかったし。」
「……ごはんもちゃんと食べられたし、夜も安心して眠れただろうな。……そうそう、二段ベッド。あれいいよ。俺、上の段なんだけどさ、下の段に三七十がいてもいなくても、1人じゃない気がして、よく眠れる。」
涼矢は哲を見る。「それはよかった。」
「あ、おまえ今、これでハグしろだのなんだの、変なこと言われずに済むって思っただろ?」
「思った。」
「そんなこと言わずにさ、俺のほうはいつでもいいよ? ハグだけでなく、その先も是非。」
「ふざけんな。」涼矢は苦笑した。3分前までなら本気で怒っていた。
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