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第524話 Bitter & Sweet (9)

「そういうのやめろ。誰か見てるかもしれないし。」 「俺は構わないけど?」  涼矢は哲を一睨みして、歩きはじめた。その後ろを哲も歩く。 「ついてくんな。」 「だって今日からまたアリスさんちに泊まるから、方向一緒。」  涼矢は立ち止まり、哲と向きあう。「……本当にさ。お願いだから。」 「ん?」 「嫌いになりたくないんだよ。おまえのこと。何があってもおまえは和樹の代わりにはならないから、余計なことするの、やめて。」 「なれると思ったことないよ。でもさ、淋しくなったりするじゃん、お互いに?」 「どんなに淋しくても、おまえで埋め合わせたりはしない。」 「……ひっで、断言するんだ?」 「言い方なんかどうでもいい。」 「俺のこと、かわいそうだと思わない?」 「思うよ。けど、それは俺には関係ない。」 「うっわ。見捨てるんだ?」 「俺は見捨ててないだろ。友達だって言ってるだろ。あのさ、おまえを捨てたのが親なのか元カレか知らないけど、かわいそうがってもらいたいなら、そいつらに言え。おまえらが捨てたからこんなことになった、責任取れって。俺に言うな。」  哲は一瞬ポカンとした表情を浮かべ、すぐにいつもの顔に戻った。元から口角が上がっていて、にこやかに見える顔。だが、ちっとも笑ってなどいないことを、今の涼矢は知っている。 「田崎は、分かりにくいけど、分かりやすいな。」 「なんだそれ。」 「おまえの言うことはなかなか理解できない。けど、首尾一貫してる。複雑ではない。だから、時間をかければ分かる。」 「単純で悪かったな。」和樹がそんなような意味の言葉を自分に向けて言うことがある。自分が言う側になるとは思っていなかった。 「悪くないさ。ただ俺が穿った見方ばかりして、深読みしちゃうだけ。深読みして、先回りして、失敗して、おまえを怒らせちゃう。……そうじゃないんだよな。おまえはいつも、同じことを言ってる。都倉くんが一番大事な恋人で、俺は友達って。」 「そう。やっと気づいたか。」 「ああ。」 「頭がよすぎるのも考えものだな。」 「そうだな。」哲はハハ、と笑った。「ヨウちゃんにも言われた。気が利く、勘の鋭い子だと思ってたけど、そうじゃないんだなって。俺は記憶力とか洞察力とかが人より優れているだけなんだってさ。過去の体験を細かく覚えてて、こうしたら次どうなるかってのを頭ん中で統計とってて、それに基づいて自分の求めてる結果に誘導するように立ち回ってるって。人の気持ちを察してるのとは違うって。」 「……やっぱり、倉田さんが良かったんじゃないの。」 「そうかもね。おまえよりはよっぽど俺にはお似合いなんだろうとは思うよ。でも向こうがダメって言うんだから、仕方ない。」 「なりふり構わず行けばいいだろ。んで、捨てないでって。好きだって、泣いてすがってみたら?」 「台風の時のおまえみたいに、か?」 「そうだよ。」 「泣いてすがった?」 「ああ。」 「マジか。」 「おまえが背中押してくれた。」 「おもしろ半分だったけどね。」 「今の俺もそうだ。……どんなにみっともなくても、最終的に上手く行けばいいと思ってるけど、半分はもういっぺん振られて、もっとズダボロになってみりゃいいとも思う。」 「ひっでえなあ。」哲は笑った。 「おまえがボロボロになって迫ってくるの、結構、クルから。倉田さんなら効果テキメンじゃないの。」 「え、マジで。その話、都倉くんに言っちゃおうかな。」 「いいよ。もう言ったから。和樹とつきあってなきゃおまえのこと抱いたかって聞かれて。」 「……なんて答えたの?」 「そうしたと思うって答えた。」 「なんでまたそんなこと言っちゃうかな。怒っただろ、彼。」 「いや。自分も同じだって。けど、抱かないって。俺には和樹がいるし、和樹には俺がいるから、そういうことはしようと思えばできるけど、でも絶対しないって。だからおあいこだって。」 「おめでたい奴らだな。」 「うん。だから、幸せだよ。」涼矢は哲を真正面から見つめた。「おまえも、幸せになってくれよ。倉田さんがその相手なのかどうかは知らないけど、ちゃんと幸せになれるよ。」  哲は少しびっくりしたように目を見開いた後に、笑い出した。「はいはい、おまえらが幸せなのはよーく分かりました。」そして涼矢に背を向けた。「俺もアホらしくなってきた。……俺、やっぱちょっと寄り道して帰るから、ここでバイバイしよ。」 「ああ。」 「じゃ、また、そのうち。気が向いたら店にも来てよ。」 「ああ。」  涼矢はしばらくそこに佇み、哲が視界から消えるまでその背中を見送った。  そんなことが数日前にあり、それ以来、哲とは顔を合わせていない。佐江子も忙しいようで、アリスの店には行っていない様子だったから、そのルートで哲の動向を聞くこともなかった。  試験も終わり春休みに入って気が抜けたといっても、そう心穏やかでもなかったのは、こんないきさつがあったせいだった。  和樹は和樹で何やら塾が忙しそうで、ここのところ毎晩電話はしているものの、ごく短い会話しかしていなかった。生徒の受験が頭をよぎるのか、今までなら話題にしなかったような時事ニュースなどがトピックの中心になることはあっても、色恋沙汰の雑談をする雰囲気ではなかった。ましてや哲の話題などできるはずもなかった。するとしたら、「倉田さんとヨリを戻した」といった話題の時だけだろうと思った。

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