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第527話 2.14 (3)

「お返しをアテにするのはプレゼントとは言わないんだよ、菜月。」本来はそうだろう。けれど、涼矢からの誕生日プレゼントは楽しみにしている自分だった。涼矢がよぎったところで、菜月が今しがた口にしたセリフを思い出した。「ところで、7月の何日?」 「8日。もうね、この日、すっごいイヤなの。7日だったら覚えやすくて良かったのに。」  偶然の一致と言うには微妙な一日違いに少々動揺しながら、「そっか。」と答えた。「7日だったら七夕だもんね。でも、誕生日はどの日でも特別だからさ。」そう言いつつも、自分にとっては、七夕よりずっと大切な、いや、他のどんな日よりも特別な涼矢の誕生日。菜月と1日違いであることが惜しいような、1日でも違っていてくれたことに少しホッとするような……いや、やはり正直に言えば後者の気持ちが強い。できることなら、涼矢の誕生日は、涼矢のことだけを考えていたい。生徒達を前にして涼矢に想いを馳せてしまう。  そんな状態だったから、「こら、次の授業始まるぞ。みんな教室に戻れ。」という教室長の声にびっくりしたのは、生徒だけではなかった。菜月を含め、こどもたちがわらわらと教室に戻っていった。普段は生徒相手でも丁寧な言葉遣いを崩さない早坂だが、こんな時には若干荒っぽい口調になる。意図的に使い分けているのは、和樹の目からも明白だった。それに引き替え、生徒とバレンタインだ誕生日だと同じレベルでおしゃべりしてしまう自分は、表面的には人気者でも、信頼されるには至らないのだろうと思う。こんな風にあからさまに和樹を慕う菜月ですら、合格発表の日にまっさきに向かったのは久家であり、涙を見せたのは早坂の言葉に対してだった。  生徒が教室に戻っていった後には、和樹自身もまた早坂から何かしらの注意を受けるかと思っていたが、予想に反して何を言われることもなく、早坂は部屋を出て行った。ひとつ上の階の、早坂の受け持つ中学生クラスに向かったのだろう。拍子抜けしながら自分も準備をしようとテキストを揃えていると、「都倉先生」と声を掛けられた。不意を突かれてギョッとしつつも顏を上げると、そこには菜月と同じ6年生の明生(あきお)がいた。 ――そうか、明生は確か、自習に来ているんだっけ。  教室に入らない理由を思い出したと同時に、明生が言った。「7月7日って、何か特別な日?」  1日違いの誕生日に早坂の反応、それらのことに動揺していたところにきて、そんな不意打ちをされ、ますます動揺した。極力顔に出さないように細心の注意を払って、「どうして?」と聞き返す。 「そんな感じがしたから。」  そんな感じ、とはいったいどんな感じなのか。まあいい。明生には関係のないことだ。「七夕だろ。」とやり過ごす。  しかし、明生はなおも言ったのだった。「誰かの誕生日? 彼女?」  さすがにこれには動揺を隠せなかった。と言うよりも、とっくに隠せてなどいなかったのだろう。  明生は物静かで、自己主張はあまりしないけれど、ひとの話にはよく耳を傾ける子だった。そして、その内容を真に理解できるまで自分の中で噛み砕こうとする子でもあり、身の周りのことをよく観察している子でもあった。だからスイミング教室の時にも一番上達したのだと和樹は思っている。国語を教えている時にもそれは感じることだった。作文を書かせれば、延々と「でも」がいいか「しかし」がいいかを考え込んだりするし、書き上げたものを読めば、細かなことをよく観察しているのがうかがえた。  つまり、明生はその持ち前の観察眼で、俺が7月7日という日に何か特別な思い入れがあることを見抜いたのだろう……小学生にしてその鋭さにはびっくりしてしまうが、案外そんなものなのかもしれないと思う。たとえば俺だって、昔飼っていたカブトムシのことなら、ほんのわずかな変化だって見逃さなかった。  和樹は明生に向かって、人差し指を口の前に立て、小声で「しーっ。」と言った。明生相手に下手な言い訳は通用しないように思えたし、同時に、彼が菜月やその他の子に、軽々しくそういうことを言いふらすようにも思えなかった。「しーっ」と指を当てるだけの口止めでも、この子なら大丈夫。そんな気がした。  明生は小さく頷いた。それを見届けると、和樹はにっこりと笑って、自分の受け持つクラスへと向かって行った。  その帰りの電車の中で、和樹はそのことを反芻していた。  いくら明生が人並み以上に察しの良い子だとしても、やはりバレるような振る舞いをしたのはまずかった。どこで間違えたのだろうか。学生証を見せたことか。菜月に7月の何日かとわざわざ聞いたことか。まぁ、いずれにせよ手遅れなのは仕方ない。あとはせいぜい明生が実際「口の堅い子」であることを祈るばかりだ。  それにしても、何故俺はあの子をこうも信頼できてしまうのだろう。もちろん生徒はみんな同じように可愛いし、ある種の信頼関係もないわけではない。でも、やっぱり目先の欲で間違ったことをしてしまうのもこどもだ。軽い例で言えば、宿題があるのに「ない」と親に嘘をつくとか。悪い例で言えば、友達とノリで万引きをしてしまったりとか。そういった「浅はかさ」はこどもにはつきものだ。

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