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第541話 白い壁と青い窓 (4)

 しばらくして宏樹が出た。「明日? いいよ、行ってやるよ。入院って何日かかるの?」 「早ければ3、4日だって。」 「3、4日かぁ。今日は金曜日だろう、明日入院して、土、日、月、火。うーん、火曜日が当番で出勤日なんだよな。カズ、3日で退院しろ。」 「そんなの、俺に言われたって。」 「だよな。まぁ、ちょっと調整してみるから。だめなら、おふくろと交替するよ。あと、入院、明日なんだよな? だったら今日の内に行ってやりたいんだけど、今日これから用事あってな。夜までかかるから、明日の朝一の新幹線だなあ。間に合うか?」 「うん、大丈夫。ごめん。」  そんな会話をして、電話を切る。続いて、今度は塾に。菊池が出たが、久家からあらましは聞いていたようで、入院の件も、それによる代講の願いもすんなりと受け入れられた。 「お母様はこちらにいらっしゃれますの?」 「両親は親戚の結婚式があるとかで、兄が来てくれます。」 「都倉先生、入院したことあります?」 「ないです。」 「パジャマとか、スリッパとか、病院から必要な物の一覧をいただいてません? 大丈夫ですか?」 「あ……。」それらしきパンフレットは受け取った記憶があった。まだ中身は見ていない。 「寝巻きはレンタルしているところもありますし、最低限の物は病院の売店で揃いますから大丈夫だと思いますけど、もし何か足りないものがあったら言ってくださいね。」 「すいません、ありがとうございます。」 「痛みのほうはどうですか?」 「痛み止めの点滴してもらったので。」 「そうですか。でも、一時的ですものね。入院してしっかり治したほうが安心だわ。」そこで菊池は声をうんと小さくして言った。「何かあったらいつでも言って。東京のお母さんだと思って、甘えていいですからね。」 「ありがとう、ございます。」  そうして電話を切った。菊池はおそらく、恵より年上だろう。いや、恵が若く見えるほうだから、もしかしたら同じぐらいかもしれない。どちらにせよ「東京のお母さん」は年回りとしては妥当だった。  そのせいか、菊池にそう言われてやけに安心した。親にも言えない秘密を知っている久家からの言葉も心強かったけれど、「お母さん」が自分にとってそれほどのパワーワードだと知って、和樹は自分でも驚くのだった。  和樹は病院前からバスに乗った。そのほうが交通の便が良かったのだ。初めて来た病院だけれど、ネットで検索したところ、入院設備がある規模の病院の中では自宅から近かったし、クチコミの評価も悪くなかったのでここに決めた。そんなことも自力でやらなければならない。  そのバスの中で、和樹は宏樹からのメッセージを受信した。今日の夜行バスで東京に向かうと言うのだ。バスは新幹線よりだいぶ安いが、時間がかかり、狭い座席は何しろ疲れる。特に体の大きい宏樹は嫌がるはずなのだが、明日の朝一番の新幹線より、夜行バスのほうが早く到着するのは間違いない。そう判断してのことなのだろう。  ありがたくも情けない心地がした。久家、菊池、そして宏樹。自分ひとりのために振り回さざるを得ない人々。1人暮らしと自立とは、かくも全然違う。  帰宅する。昨日の居酒屋を最後に何も食べていないが、特にお腹は空いていなかったし、手術に備え絶食を言い渡されていた。水分は許されていたので、リンゴジュースの残りとスポーツドリンクを少しずつ飲んだ。  一休みしてから、涼矢に手の空いた時に電話が欲しいとメッセージを送った。電話はすぐに来た。 ――体調はどう? 「うん、痛み止めの点滴してもらったし、薬ももらったから、今は平気。でも、盲腸だってさ。」 ――えっ。じゃあ、手術とか? 「そう。明日入院して、早ければ明日のうちに。それがだめだと月曜日かなぁ。日曜日は原則、手術しないみたいだから。入院が伸びると困るんだけどね。」 ――入院……。 「今日の夜のうちには兄貴が来てくれるって言うし、心配すんなよ。いや、1人でも大丈夫なぐらいなんだけど、なんかね、手術するのに家族の承諾とか要るみたいでさ。」そう口にしてハッとした。そうだ、長年一緒に連れ添ってきた小嶋と久家が、ほんの数年前になってようやく養子縁組した理由。それは、小嶋のガン治療のためだったはずだ。 ――そっか。宏樹さんがいてくれるんなら、俺も安心だな。  涼矢はそんなことを言った。それを聞いて、和樹は今、自分が思い出したようなこと――"身内"でないとできないこと――について連想しないでくれてよかった、と胸をなでおろした。だが、その矢先にこうも言った。 ――行ってやりたいけど、俺が行ったってやれることないしな。 「そんなことない。」和樹は食い気味に言った。「……けど、おまえが来るって言っても来るなって言う。」 ――宏樹さんいるなら、必要ないもんな。 「いてくれるだけでいいよ。……でも、見せたくない、から。あんまり、俺の、そういう……。」 ――弱ってるとこ? 「……うん。」 ――弱ってるんだ。 「そりゃね。今は薬効いてるし、しゃべるぐらいなら全然大丈夫だけど。」 ――そっか。……見せてもいいのに、弱いとこ。

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