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第542話 白い壁と青い窓 (5)
「それは分かってるけど。」自分が逆の立場でもそう言うだろう、と和樹は思う。
――でも、それを俺に見せたくないってのも、分かるよ。
おそらく涼矢も同じように考えているのだろう、と思う。
――……あ、盲腸の手術と言えば。
涼矢の口調が少し変わった。
「ん?」
――テーモーするの?
涼矢の言葉の意味が分からない和樹だった。黙っていると涼矢が言い直した。
――剃毛。毛を剃るんじゃないの? 下の毛。
「し、知らねえよ。何も言われてない、そんなの。なんて言ってたかな、そうだ、腹腔鏡手術だって言ってたし。中見て、なんかあったら大きく切るかもしれないけどって言ってた、医者は。」
――なぁんだ。
「なんだじゃねえだろ、変態。」
――あ、少し元気になった。
「うっせ、余計悪化したわ。」言いながら、笑ってしまう。
――ごめん。
笑って受け止めたはずなのに、涼矢は案外しおらしく謝った。
――俺、入院は何度もしたけど、手術したことない。何日ぐらい入院する?
「普通は1週間程度だけど、早ければ3、4日だって。まあ、盲腸だもん。大したことないよ。」
――病室じゃ、スマホ、だめだよな。個室じゃないんだろ?
「大部屋。でも、スマホはどうなんだろ。ちょっと待って。」和樹は「入院する方へ」と書いてある案内冊子を広げた。菊池に言われたような必要な物の一覧の他に、入院中のタイムスケジュールやルールが記されている。「通話は休憩室の公衆電話をご利用くださいって書いてあるけど、しゃべらなきゃ部屋で使ってもいいってことなのかな。」
――どうだろね。音を出さなければいいのかもね。
「連絡はするよ。」
――無理すんなよ。
「うん。みんなそう言ってくれるけどさ。無理してないよ。みんな超優しい。久家先生も、受付の人も何かあったら何でも言ってって言うし、兄貴もすぐ来てくれるって言うし、俺ってそんなに心配? やっぱり抜けてるように見えるのかな。」
――逆だよ。
「ん? 逆?」
――和樹はいつも一生懸命だから。手抜きしたりズルしたりしないから。だから、その意味で心配。すげえしんどいのに平気平気って強がってないかって。
「それはおまえ、買いかぶり過ぎだろ。適当なの、知ってるだろ。遅刻もしたし、基礎練サボったし。あと、部屋の片づけだって全然しないし、だらしない。」
――うん、おまえはそういう、自業自得のことは手抜きするよな。
「ほれ見ろ、やっぱりそう思ってる。」
――でも、そういう、自業自得の時だけだ。自分がちゃんとしないと他の人が困るって時には、ちゃんとやってた。だから心配なんだよ。今回病院行って、入院するってなって。それ、ちょっとお腹痛いレベルじゃなかったんだろ? そうじゃなかったら、おまえ、平気平気って病院にも行かなかったろ? 入院って、当然、バイトは休むことになるだろ? せっかく講習任されるようになったって喜んでたのに、それ中断してまでするってことは、そうしなきゃ、もっと迷惑かかりそうだからだろ? そのぐらい体調悪いんだろ?
「……そんな、まくしたてるなよ。病人だぞ。」
――ごめん。
「嘘だよ、冗談。……なんか、お見通しで恥ずかしいんだよ。」
――恥ずかしいことないよ。ただ、だから、心配だって話。おまえの平気平気はあてにならない。
「分かったよ、無理しない。ほんっとうに、そういう、無理はしないから。安心してよ。」
――絶対な。
「うん。」
――ちゃんと、キツイ時は言って。何ができるか分かんないけど。何もできないだろうけど。聞くぐらいは。
「うん。」
――じゃないとさ、俺が辛いでしょ。
「え? なんで?」
――そういう時に頼ってもらえないなら、何のための彼氏ですかって話でしょ。
「あ……ああ。」和樹はふふっと笑う。
――なんだよ、何故そこで笑う。
そう言っている涼矢も笑っている。
「似合わねえなあ、そういうセリフ。」
――うっせえな、俺だってそう思ってるよ。
「……じゃあさ、人生初の手術と入院を控えて、不安で心細い俺のお願いをひとつ、聞いてもらっていい?」
――いいよ、俺にできることなら、なんでも。
「おまえにしかできない。」
――何?
「結婚して。」
――え。
「結婚してください。」
――それは、どういう……。
「今すぐじゃない、もちろん。でも、なるべく早く。なんとか条例のカップル証明書だか、養子縁組だか分かんないけど、口約束じゃないやつ。きちんと病院でも家族だって通用するようになるやつ。」
――ちょ。それ、今、こんな時に……。
「今だから。こういう時だから言ってんだよ。手術の同意書、身内じゃないとダメとかって言われてさ。どっちにしろ未成年じゃダメだっていうからダメなんだけど、これからだってこういうことあると思うし。紙切れ1枚がなんなんだって思うけど、紙切れ1枚でうまくいくことがあるなら、そうしたいって。」
――和樹……。
「今サインするわけじゃないよ、でも、おまえの気持ちを教えて。どうせおまえのことだから、そんなの、前々から考えてただろ。」
――今、答えなきゃダメ?
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